紀為君
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紀為君(きいぎみ、生年不詳 - 元禄2年2月25日(1689年4月14日))は、安土桃山時代・江戸時代前期の女性。岡藩主・中川久盛の正室。徳川家康の養女。父は松平定勝。
戦国武将・松平定勝の三女として生まれる。母は奥平貞友の次女・たつ[1]。
その後、姉の松尾君・阿姫と共に徳川家康の養女となり、岡藩主・中川久盛の正室となるが子供はできなかった[2]。
元禄2年(1689年)2月25日死去。享年は89とも92ともされる[3]。戒名は光顕院殿心蓮社専誉普照伝守大禅定尼[3]。墓所は大増寺。
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