竹村良貞
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竹村 良貞(たけむら よしさだ、文久元年11月25日[1](1861年12月26日)- 昭和15年(1940年)6月9日)は、明治期のジャーナリスト、政治家、帝国通信社社長。
経歴
[編集]越後国生まれ。高田藩士の子として生まれ、藩校に学び明治10年の役で従軍。その後、慶應義塾に入り、1881年(明治14年)に卒業した。郷里に帰り高田新聞を創刊するが、高田事件で入獄した。
1883年(明治16年)、報知新聞に入社。その後、報知新聞が時事通信社[2]と合併した際に帝国通信社の社長となる。
1904年(明治37年)の第9回衆議院議員総選挙において新潟県で憲政本党から、1917年(大正6年)第13回総選挙では憲政会から立候補し、代議士となっている。その他に東京市会議員、麹町区会議長を歴任した。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 三田商業研究会 編『慶應義塾出身名流列伝』実業之世界社、1909年(明治42年)6月、377-378頁 。(近代デジタルライブラリー)