福田孝
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ふくだ たかし 福田 孝 | |
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生誕 |
1916年12月25日 日本千葉県印旛郡大森町 (現・千葉県印西市) |
死没 | 1998年8月19日 |
国籍 | 日本 |
出身校 | 電機学校(現・東京電機大学) |
職業 |
技術者 実業家 |
活動期間 | 1939年7月 - |
著名な実績 | フクダ電子創業 |
受賞 | 紫綬褒章(1971年) |
福田 孝(ふくだ たかし、1916年(大正5年)12月25日 - 1998年(平成10年)8月19日)は、日本の技術者、実業家、経営者、フクダ電子創業者。
来歴
[編集]千葉県印旛郡大森町(現在の印西市)に生まれる。電機学校(現・東京電機大学)卒業後、大学で学んだ知識を医療に生かそうと、特に1930年代に登場した心電計に着目した。1939年(昭和14年)に独力で福田特殊医療電気製作所(現・フクダ電子)を創業。 当時の心電計は直流電池を電源に真空管3本と可動鉄片型ガルバー、ゼンマイ式モーターを使った簡単な構造の心電計で、オシログラフペーパーに記録し現像するという代物だった。
戦後、交流電源を使うようになったが、今度は雑音が激しく専門家が操作を手助けするような状況で、まだまだ臨床での利用にはほど遠かった。 何とか臨床に使えるようにしようと、医師や工学技術者、電機メーカーが加わって「心電計研究会」が発足し、福田もメンバーの一人となる。1950年(昭和25年)には福田エレクトロ製作株式会社(現・フクダ電子)に商号変更。社長に就任。
1951年(昭和26年)福田は、アメリカで作られた直記式心電計を基にして、国産初の「熱ペン直記式心電計」を作った。 医療現場で記録できる心電計で、今日の心電計の原型であり医学界から大きな注目を浴びた。以来、改良に改良を重ねてきたが、同時にそれは「心電計のフクダ電子」とうたわれた[1]。
1971年(昭和46年)に紫綬褒章を受賞[2]。また、心電計にとどまらず循環器領域の医療機器にも進出し、1973年(昭和48年)にはドイツのシーメンスとも提携をした。
1985年(昭和60年)フクダ電子代表取締役会長に就任[3]。