神津俶祐
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神津俶祐 | |
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生誕 |
1880年6月5日 日本長野県北佐久郡志賀村 |
死没 | 1955年2月11日(74歳没) |
国籍 | 日本 |
研究分野 | 岩石学、鉱物学 |
研究機関 | 東北大学 |
出身校 | 東京帝国大学理科大学[1] |
プロジェクト:人物伝 |
神津 俶祐(こうづ しゅくすけ、1880年(明治13年)6月5日 - 1955年(昭和30年)2月11日)は、日本の岩石学者・鉱物学者・地球科学者。東北大学名誉教授[2]。理学博士[1][2][3]。日本学士院会員[2]。
経歴
[編集]長野県北佐久郡志賀村(現・佐久市)生まれ。神津清三郎の四男[1][2][3]。1905年、東京帝国大学地質学科を卒業[2][4]。大学院に学んだ[3]。
1907年、農商務技師に任じ[1]、地質調査所技師などを経て1916年、東北帝国大学教授となり、岩石鉱物鉱床学教室を設立した。1917年、理学博士の学位を授与された[1]。1932年、帝国学士院会員[1][3]。1942年、退官[2]。
人物
[編集]1929年、兄で長野電鉄創設者の神津藤平方より分家した[3]。住所は長野県北佐久郡志賀村[2]、宮城県仙台市米ヶ袋下町[1][3]。
火成岩溶融現象を研究した。月長石のX線による研究で世界的に知られるようになった。日本岩石鉱物鉱床学会や日本火山学会の設立にも貢献し、日本の岩石学の近代化を推し進めた。
なお、1969年、岩手県田野畑鉱山(田野畑村)で発見された新種の角閃石には神津閃石の名が献名されている[5]。ただし、神津閃石の英名は2012年に Mangano-ferri-eckermanniteと名称変更されている。
家族・親族
[編集]- 神津家
- 父・清三郎[3]
- 兄・藤平[3](1871年 - 1960年、実業家) - 長野電鉄創設者である。
- 妻・千代(1897年 - ?、神奈川、中村源兵衛の二女)[2][3]
- 養子・進(羽田武嗣郎の四男、羽田孜の弟)
- 親戚
出典
[編集]- ^ a b c d e f g 『人事興信録 第10版 上』カ123頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年12月10日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 『人事興信録 第15版 上』カ43頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年12月9日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 『人事興信録 第13版 上』コ115頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年12月9日閲覧。
- ^ 『東京帝国大学一覧 明治39-40年』学士及卒業生姓名 理学士 地質学科227頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年12月9日閲覧。
- ^ “Kozulite 神津閃石”. 2007年3月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年7月20日閲覧。
参考文献
[編集]- 『東京帝国大学一覧 明治39-40年』東京帝国大学、1886-1912年。
- 人事興信所編『人事興信録 第10版 上』人事興信所、1934年。
- 人事興信所編『人事興信録 第13版 上』人事興信所、1941年。
- 人事興信所編『人事興信録 第15版 上』人事興信所、1948年。