神戸芸能社

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神戸芸能社(こうべげいのうしゃ)は、昭和33年(1957年)4月に法人登記した日本興行会社(今でいうプロモーター)で、暴力団・三代目山口組(組長は田岡一雄)の企業舎弟美空ひばりが所属していたことで有名。前身は山口組興行部

歴史[編集]

昭和33年(1957年)4月1日、三代目山口組田岡一雄組長は「神戸芸能社」を株式会社として法人登記した[1]。資本金は百万円[2]。社長は田岡一雄[2]。本社事務所は、兵庫県神戸市生田区橘通り2丁目の山口組本家[2]。月給は田岡一雄が25万円、山沖一雄が15万円であった[3]。ひばりの他に田端義夫高田浩吉里見浩太朗山城新伍橋幸夫三波春夫、北条きく子らの興行権を持った[4]

1964年(昭和39年)2月、警視庁が「組織暴力犯罪取締本部」を設置し、暴力団全国一斉取締り(第一次頂上作戦)を開始した[5]

その結果、神戸芸能社は公共施設から締め出されていった[注釈 1]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 衆議院法務委員会. 第48回国会. Vol. 10. 5 March 1965. 赤松勇委員)私が先ほど申し上げた関西は手ぬるいということも、国民運動が先行しているということで、たとえばプロレスの興行にしても、美空ひばりの興行にしても、あれは神戸芸能社という暴力団がやっている興行社であるから、したがって公共施設は貸さないというのがずっとここで関西では出ていますね。

出典[編集]

  1. ^ 飯干晃一『山口組三代目1 野望編』角川文庫、1982年、P.102。ISBN 4-19-597344-9
  2. ^ a b c 猪野健治『三代目山口組』新版・ちくま文庫、2000年、P.75。ISBN 4-480-03600-8
  3. ^ 猪野健治『三代目山口組』P.77
  4. ^ 猪野健治『山口組の研究』双葉社、1982年。P.39
  5. ^ 実話時代編集部『山口組50の謎を追う』洋泉社ムック、2004年、ISBN 978-4896917963 のP.133