矢口王

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矢口王(やぐちおう/やぐち の おおきみ、生没年不詳)は、奈良時代皇族。系譜は不明だが、三世王以上五世王未満であることが、以下の叙位から分かる[1]位階正五位下

経歴[編集]

天平宝字8年(764年)10月、藤原仲麻呂の乱後の親王大臣の子孫に対する叙位にて、無位から従五位下に叙せられている。

その後、称徳朝においては事績が見られないが、光仁朝になって、宝亀4年(773年)正月に従五位上、同9年(778年)の正月の踏歌の節会の際に正五位下に進められている。以降の記録は存在していないため、どのような政治的役割を果たしたのかは不明である。

官歴[編集]

続日本紀』による。

脚注[編集]

  1. ^ 「選叙令」35条によると、原則として親王の子に従四位下で、諸王の子には従五位下。皇親ではなくなる五世王は従五位下。その子は1階下になり、庶子はさらに1階下になるということになっていた
  2. ^ 『続日本紀』では「正月辛未」の日付になっているが、この年のこの月には「辛未」の日がないため、「癸未」の誤りではないか、とされる。下文の大赦記事には「宝亀四年正月七日」とある、

参考文献[編集]