田以正

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

田 以正(でん いせい、Tian Yizheng、? - 1870年)、末の哀牢山の蜂起の指導者の一人。ハニ族田四浪ともいう。

雲南省他郎出身。貧農出身であったが、1853年、ハニ族・イ族5千人を率いて蜂起し、新平などに勢力を広げた。1858年李文学が「彝家兵馬大元帥」を名乗って哀牢山地区で蜂起すると、李文学の配下の李学東王泰階は田以正との連携を提案した。協議の結果、両軍は連合することになり、田以正は「彝家兵馬副元帥」に任命された。1859年に他郎を攻略し、1862年には他郎南部の通関哨を占領して普洱思茅昆明との交通路を支配した。しかし1870年に通関哨は清軍の攻撃を受け、包囲を突破したものの、やがて捕えられ処刑された。田以正の死は李文学軍にとって大きなダメージであり、蜂起は1874年に鎮圧された。

参考文献[編集]

  • 謝啓晃・胡起望・莫俊卿編『中国少数民族歴史人物志』民族出版社