李学東

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李 学東(り がくとう、Li Xuedong1826年 - 1876年)は、末のイ族の反乱の指導者。

雲南省弥渡出身。1853年王泰階とともに太平天国の乱に参加し、石達開の部隊に属したが、戦闘中に負傷して離脱した。傷が癒えた後、雲南省の哀牢山地区に入った。1856年李文学が蜂起すると、上将軍に任命された。1857年南澗蒙化などを占領した。1861年には杜文秀率いる回民軍の救援に大理に赴いた。1874年に李文学が殺害されると、余党を率いて山岳部で抵抗を続けたが、1876年に病死した。

参考文献[編集]

  • 『中国歴史大辞典・清史(下)』上海辞書出版社