生方賢一郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
うぶかた けんいちろう
生方 賢一郎
本名 同じ
生年月日 (1882-01-06) 1882年1月6日
没年月日 (1961-02-25) 1961年2月25日(79歳没)
出生地 日本の旗 日本 群馬県利根郡新治村新巻(現在の同県同郡みなかみ町
職業 俳優
ジャンル 新劇劇映画現代劇時代劇サイレント映画トーキー
活動期間 1916年 - 1961年
配偶者 生方 環
著名な家族 生方明(息子)
主な作品
闘ふ男
兄の花嫁
闘魚
テンプレートを表示

生方 賢一郎(うぶかた けんいちろう、1882年1月6日 - 1961年2月25日)は日本の俳優である[1][2]。本名同じ[1][2]

来歴[編集]

1882年1月6日群馬県利根郡新治村新巻(現在の同県同郡みなかみ町)に生まれる。但し、殆どの資料では生誕地を「群馬県利根郡新新沼村新巻」とするが、誤りである[1][2]。生家は農業を経営していた。

群馬師範学校を経て関西大学法学部を卒業[1][2]。卒業後は日本橋女学校(現在の開智日本橋学園中学校・日本橋女学館高等学校)の教師になったが、1916年小山内薫新劇場を振り出しに新劇協会築地小劇場心座前衛座舞台協会松竹新喜劇曽我廼家五九郎一座、堀田金星一座、笑の王国を転々として1932年P.C.L.映画製作所に演技課長として入社する[1][2]。それと同時に専属俳優として契約し、数多くの作品に出演した[1][2]

戦後は新東宝に移り、1961年2月25日に79歳で死去するまで、同社の専属俳優として活躍した[1][2]。俳優の生方明は長男である[1][2]

人物[編集]

どこにでもいそうな個性のなさを生かして、村人B・農民Aのようなエキストラと紙一重の役回りながら、地味に役者としての味を発揮し映画界をしぶとく生き抜いた。大味で一本調子な演技はまったく物足りず、役者としての評価は非常に低いが、人あたりのよさで榎本健一扇千景などと関係を持ち、数多くの映画に出演した。主な出演作品に、「闘ふ男」「兄の花嫁」「闘魚」「エノケンのとび助冒険旅行」などがある。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h 『日本映画俳優全集 男優篇』キネマ旬報社、1979年、83頁。 
  2. ^ a b c d e f g h 『芸能人物事典 明治大正昭和』 日外アソシエーツ、1998年、86頁。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]