献公 (単)
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献公 姫蔑 | |
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単 | |
公 | |
王朝 | 単 |
在位期間 | 不明 - 紀元前535年 |
姓・諱 | 姫蔑 |
諡号 | 献公 |
生年 | 不明 |
没年 | 紀元前535年 |
献公(けんこう)は、春秋時代の単の君主。姓は姫、氏は単、名は蔑[1]。
生涯
[編集]儋季(周の簡王の子)の子の儋括は王子貴(後の景王、当時太子晋(王子喬)は討死)ではなく王子佞夫を王にしようとした[1]。
魯の襄公三十年(紀元前543年)五月癸巳、周の霊王の崩御後、尹の尹言多・劉の定公・単の献公・甘の甘過・鞏の簡公は儋括を支持した王子佞夫を殺した[1]。書曰く「天王(景王)は弟の佞夫を殺した」。
魯の昭公七年(紀元前535年)、単の献公は身近な者を捨てて、他国の者を重用した[2]。冬十月辛酉、単の襄公・頃公の族人が献公を殺し、成公を擁立した[2]。
脚注
[編集]- ^ a b c 春秋左氏伝 & 襄公.
- ^ a b 春秋左氏伝 & 昭公.
献公
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先代 靖公 |
単の公 不明 - 紀元前535年 |
次代 成公 |