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  • 都市対抗野球大会のサムネイル
    同地区内での補強が行われるため、ライバルチームに補強されるケースが多くなるが、補強に選出された選手はこれを拒むことができないとされている。 なお、補強選手を選ぶことは出場チームの義務ではなく、補強選手制度を使わない、あるいは1~2名のみ補強
    136キロバイト (15,320 語) - 2024年7月7日 (日) 04:49
  • 78年7月29日から8月8日まで後楽園球場で開かれた都市対抗野球大会である。 補強選手制度が改定され、予選の間は自チーム選手のみで試合をする(一次予選終了段階での5人までの補強は認めない)ことになった。そのため、補強選手は最高5人ということになった。 初出場は3チーム(光市・新日鐵光、足利市・全足…
    19キロバイト (455 語) - 2024年5月22日 (水) 15:39
  • 減少と地域のレベル差を踏まえ、これまで1チームにつき5人まで補強選手の獲得が可能であったが、今大会から1チーム3人までと制限された。それでも補強選手不足は解消せず、南関東(4チーム)、京滋奈(2チーム)、兵庫(2チーム)は出場全チーム補強なし、単独チームでの戦いを余儀なくされた。…
    25キロバイト (1,100 語) - 2024年5月22日 (水) 15:52
  • 後藤寿彦 (カテゴリ 日米大学野球選手権大会日本代表選手)
    1976年に三菱重工三原に入社。同年の都市対抗は広島マツダの補強選手として出場。同じく三菱重工三原から補強された角三男を擁し、三塁手として起用される。準決勝に進むが、北海道拓殖銀行に敗れた。同年のアマチュア野球世界選手権日本代表に選出されている。1978年の都市対抗は日本鋼管福山の補強選手
    8キロバイト (822 語) - 2024年6月16日 (日) 03:47
  • 陸上自衛隊西部(官業公社・三田川町) ^ ただし、都市対抗とは異なり、補強選手は同業他社から迎えた。第19回大会で優勝した北海道拓殖銀行から最高殊勲選手に選出された小弓場保選手は同じ金融部門の日本生命所属であった。小弓場は都市対抗でも同地区の電電近畿に補強されて橋戸賞を受賞している。 ^…
    14キロバイト (1,448 語) - 2022年12月23日 (金) 01:02
  • 石井連藏のサムネイル
    石井連藏 (カテゴリ 日本のアマチュア野球選手)
    283。 卒業後は社会人野球の日本鋼管に進む。1955年の都市対抗に日本石油の補強選手として出場。全鐘紡との準決勝では先発を任されるが惜敗。翌1956年の都市対抗にも日本石油の補強選手として連続出場。準々決勝で因縁の全鐘紡から本塁打を放つなど活躍、藤田元司の好投もあって決勝で熊谷組を破り、神奈川県勢初優勝を果たす。…
    11キロバイト (1,605 語) - 2023年5月31日 (水) 18:34
  • 安田真範 (カテゴリ 日米大学野球選手権大会日本代表選手)
    ームランを放っている。1999年はアジア野球選手権代表候補に選ばれて中日のキャンプに参加した。同年のJABA東京スポニチ大会ではチームの準優勝に貢献して敢闘賞を受賞し、野球部の統合に伴って同年途中から本社野球部に転籍。 2000年は三菱ふそう川崎の補強選手として都市対抗に出場し、初スタメンとなった住…
    8キロバイト (918 語) - 2024年5月22日 (水) 14:33
  • 、3-2の僅差で勝利し、社会人野球の面目を保った。橋戸賞は日本生命から補強の松井実遊撃手が獲得。松井選手は本職のショートのみでなく、リリーバーとしてマウンドにも上がり、投打にわたって活躍。前年から補強制度が導入されたが、補強選手が橋戸賞を獲得したのは初めてのケース。 3位決定戦 勝:岩佐 敗:辻 決勝戦(8月12日)…
    12キロバイト (430 語) - 2024年2月24日 (土) 15:59
  • 補強選手として準優勝に貢献した。2002年には、平野佑介(水俣高 - 九州東海大学)がホンダ熊本の補強選手として活躍、こちらも準優勝に貢献して久慈賞・若獅子賞・優秀選手賞の三賞を同時受賞した。幸松司(敬徳高 - 九州産業大学)も2008年に熊本ゴールデンラークス・2009年に三菱重工長崎の補強選手としてそれぞれ出場している。…
    9キロバイト (1,018 語) - 2024年6月10日 (月) 14:44
  • 梶山義彦 (カテゴリ 日本のアマチュア野球選手)
    1998年はチームで5番打者を任されたが都市対抗出場はならず、東芝の補強選手に指定された。また、同年はアジア大会代表に選ばれ、銀メダルを獲得している。1999年の都市対抗では日石三菱に補強され、優秀選手賞を受賞した。また同年のアジア選手権では主将を任され、2年ぶりに社会人ベストナインに選ばれた。…
    9キロバイト (995 語) - 2024年5月22日 (水) 14:59
  • 森田幸一 (カテゴリ ウィキデータにある日本野球機構選手識別子)
    )は、大阪府出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。 北陽高校では2年夏、秋と府大会ベスト4、近畿大学へ進学するが、1学年上に西岡剛、同期に山内嘉弘、木村恵二らがおり、登板機会は少なかった。 大学卒業後は、住友金属に入社。1989年には都市対抗野球で松下電器の補強選手
    10キロバイト (1,118 語) - 2024年5月16日 (木) 21:30
  • を採用、現在まで都市対抗野球の大きな特徴となった補強選手制度が編み出された。 上述のように前回優勝の星野組が解散したため、大会に参加したのは地区予選を勝ち上がった19チーム。優勝したのは大阪の新鋭・全鐘紡。日本生命を予選で破り、日本生命の主力選手補強してうまくチームを編成し、初優勝を飾った。…
    12キロバイト (402 語) - 2023年10月27日 (金) 09:59
  • 西正文 (カテゴリ 日本のアマチュア野球選手)
    ロス五輪の日本代表選出では最終選考まで候補として残り、1984年には日本生命の補強選手として初めて第55回都市対抗野球大会に出場した。翌1985年はアジア野球選手権大会で野球日本代表に初めて選ばれ、また日本生命の補強選手として第56回都市対抗野球大会優勝に貢献している。一方、ロス五輪に参加出来なか…
    9キロバイト (984 語) - 2023年12月2日 (土) 08:15
  • 松本安司 (野球) (カテゴリ 日本のアマチュア野球選手)
    補強され準決勝に進むが、東芝に敗退。この時の正捕手でソウル五輪でもチームメイトだった古田敦也(トヨタ自動車から補強)とは現役引退後も親交が続いている。 1989年と1991年は西濃運輸、1990年と1992年はNTT東海の補強選手
    7キロバイト (730 語) - 2024年5月22日 (水) 14:58
  • 池邉啓二 (カテゴリ 日本のアマチュア野球選手)
    キーイヤーに社会人ベストナインを獲得した。 その後も、2014年までの在籍した10年間全てで都市対抗野球大会に出場、優勝を5回経験(自チーム3回・補強選手2回)。社会人ベストナインを3度獲得し、また大学・社会人を通じて9回の日本代表選出経験を持つなど、西郷泰之に次ぐ社会人野球を代表する野手として「ミスター社会人」と呼ばれた。…
    8キロバイト (882 語) - 2024年5月22日 (水) 15:07
  • 企業チームが減少する中で出場チームを増やしたことから、補強選手数は大幅に減少。11チームが補強なしで本戦に挑むこととなり、4チームが出場する神奈川・阪和両地区からは全チームが補強なしという事態となった。 本戦では、最後の大会に臨む日産自動車が粘りを見せて4強に食い込…
    22キロバイト (1,295 語) - 2024年5月22日 (水) 15:52
  • jp/article/714157 2022年8月4日閲覧。  ^ “防衛省、人材確保に民間からの「レンタル移籍制度」”. 読売新聞  都市対抗野球・補強選手 ウィンターリーグ - カリブ海諸国のプロ野球リーグ。カリビアンシリーズではこの制度が使われている。 競馬の期間限定騎乗騎手・短期免許 日本卓球リーグ・ゴールド選手
    18キロバイト (2,748 語) - 2024年7月7日 (日) 01:42
  • 森昌彦 (カテゴリ 日本の野球選手)
    補強選手として第71回都市対抗野球大会に出場している。2002年の都市対抗予選をもってNTT西日本名古屋野球クラブも解散となり、最終戦に登板した。 2003年より愛知ベースボール倶楽部の監督に就任し、2007年にはチームを全日本クラブ野球選手
    12キロバイト (1,325 語) - 2024年6月22日 (土) 01:59
  • 補強選手を選出することができないこととなった。これを受け、前回大会優勝の全鐘紡は推薦出場権を返上し、予選からの出場を選んだ。 そのため、本大会は19チームで争われた。優勝は推薦出場権を返上した全鐘紡。現在でも大会記録となっている3連覇を達成した。橋戸賞は昨年に続き日本生命から補強された松井実選手
    12キロバイト (496 語) - 2024年6月26日 (水) 21:53
  • 小川健太郎 (カテゴリ ウィキデータにある日本野球機構選手識別子)
    手)が本塁打を放ってサヨナラ勝ちし、準々決勝(対日本通運名古屋)に敗退した。翌年の第34回都市対抗野球大会では熊谷組の補強選手として出場した。 1964年に実績ある中継ぎ投手の補強が急務だった中日ドラゴンズが小川を獲得することを発表した。小川は社会人野球でのプレーが続く間に結婚しており、中日入団時…
    22キロバイト (3,119 語) - 2023年10月18日 (水) 18:25
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