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京都伏見介護殺人事件
場所 日本の旗京都府京都市伏見区
標的 女性1人
日付 2006年平成18年)2月1日
攻撃側人数 1人
死亡者 1人
犯人 被害者の息子
動機 介護疲れによる困窮
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京都伏見介護殺人事件(きょうとふしみかいごさつじんじけん)とは、2006年2月1日京都府京都市伏見区桂川の河川敷で当時54歳の男Yが認知症患者の86歳の母親を殺害した介護殺人事件。

概要

加害者Yは3人家族の一人息子として生まれる。1995年に父親が他界したのち、母親が認知症を発症。Yが単身で介護にあたっていたが、経済的に余裕がなくなったため生活保護の申請を行うも、休職中であったことや失業保険の給付中であったことなどから受け入れられなかった。Yはのちに退職し母親とつきっきりの生活を送っていたが、次第に生活を賄えなくなり最終的に心中を決意。二人で河原町周辺を歩き回った後、桂川の河川敷で母親と最後の会話をする。母が「もう生きられへんのやで。 ここで終わりやで。」「そうか、あかんか。 一緒やで。」「こっち来い、わしの子や。」などの言葉をかけるとYは殺害を決意。母親の首を絞めて殺害、自らも包丁やロープを用いて心中を図ろうとしたが失敗し、その後逮捕された。

母子のあまりの悲惨な境遇から各所で多くの同情を誘った。同年7月に京都地裁で行われた裁判では、検察官ですらその困窮ぶりに同情し、福祉事務所の冷淡な対応などに苦言を呈すなど批判的な弁論を行った。Yは「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」と供述し、法廷は静まり返った。裁判官は福祉行政の在り方に対して疑問を投げかけると同時に、Yに対して「自分で自分をあやめることのないように、お母さんのためにも幸せに生きてほしい」と述べ、懲役2年6月、執行猶予3年の判決を下した。Yも「母の年まで生きる」と語った。

Yはその後木材会社などで職を得るなどして細々と生活していたが、不況を端としたリストラに遭い退職。事件から8年後の2014年琵琶湖大橋から投身自殺した。遺体に身に着けていたポーチからは母親のへその緒と「一緒に焼いてほしい」という書き置きが見つかっている。

参考文献

関連項目