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'''ロジャー・メイウェザー'''('''Roger Mayweather'''、[[1961年]][[4月24日]] - )は、[[アメリカ合衆国]]の元[[プロボクサー]]、現[[トレーナー]]。身長170cm。[[フロイド・メイウェザー・シニア]]は兄であり、[[フロイド・メイウェザー・ジュニア]]は甥にあたる。[[ジェフ・メイウェザー]]は弟。
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引退後は、メイウェザー・ジュニアのトレーナーを長く務めていたが、2013年ごろから[[パンチドランカー]]を患い、現在は昔の記憶の大部分を喪失し、メイウェザー・ジュニアの事を誰か認識できないほど症状が悪化している<ref>{{cite web|url= http://www.badlefthook.com/2015/8/14/9153105/mayweather-rogers-deteriorating-health-has-influenced-my-decision-to |title= Mayweather: Roger's deteriorating health has influenced my decision to retire |publisher= Bad Left Hook |date= 2015-8-14 |accessdate= 2015-10-26}}</ref>。
引退後は、メイウェザー・ジュニアのトレーナーを長く務めていたが、2013年ごろから[[パンチドランカー]]を患い、現在は昔の記憶の大部分を喪失し、メイウェザー・ジュニアの事を誰か認識できないほど症状が悪化している<ref>{{cite web|url= http://www.badlefthook.com/2015/8/14/9153105/mayweather-rogers-deteriorating-health-has-influenced-my-decision-to |title= Mayweather: Roger's deteriorating health has influenced my decision to retire |publisher= Bad Left Hook |date= 2015-8-14 |accessdate= 2015-10-26}}</ref>。
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== 来歴 ==
== 来歴 ==
=== プロボクサー時代 ===
=== プロボクサー時代 ===
[[1981年]][[7月29日]]、1回TKO勝ちでプロデビュー。
[[1981年]]7月29日、1回TKO勝ちでプロデビュー。


[[1982年]][[10月23日]]、13戦目でルーベン・ムニョス({{USA}})に判定勝ちし、USBA全米ライト級王座を獲得。
[[1982年]]10月23日、13戦目でルーベン・ムニョス({{USA}})に判定勝ちし、USBA全米ライト級王座を獲得。


[[1983年]][[1月19日]]、15戦目で[[世界ボクシング協会|WBA]]世界[[スーパーフェザー級|ジュニアライト級]]王者[[サムエル・セラノ]]({{PUR}})に挑戦し、8回TKO勝ちで無敗のまま王座を獲得。以後、2度の防衛に成功した。
[[1983年]]1月19日、15戦目で[[世界ボクシング協会|WBA]]世界[[スーパーフェザー級]]王者[[サムエル・セラノ]]({{PUR}})に挑戦し、8回TKO勝ちで無敗のまま王座を獲得。以後、2度の防衛に成功した。


[[1984年]][[2月27日]]、[[ロッキー・ロックリッジ]]({{USA}})と対戦し、1回KO負けで王座から陥落。初黒星を喫した。
[[1984年]]2月27日、[[ロッキー・ロックリッジ]]({{USA}})と対戦し、1回KO負けで王座から陥落。初黒星を喫した。


[[1985年]][[7月7日]]、[[世界ボクシング評議会|WBC]]世界ジュニアライト級王者[[フリオ・セサール・チャベス]]({{MEX}})に挑戦するも、2回TKO負けで王座獲得に失敗した。
[[1985年]]7月7日、[[世界ボクシング評議会|WBC]]世界スーパーフェザー級王者[[フリオ・セサール・チャベス]]({{MEX}})に挑戦するも、2回TKO負けで王座獲得に失敗した。


[[1987年]][[3月28日]]、[[北米ボクシング連盟|NABF]]北米ライト級王座決定戦で[[パーネル・ウィテカー]]({{USA}})と対戦し、0-3の判定負けで王座獲得に失敗した。
[[1987年]]3月28日、[[北米ボクシング連盟|NABF]]北米ライト級王座決定戦で[[パーネル・ウィテカー]]({{USA}})と対戦し、0-3の判定負けで王座獲得に失敗した。


1987年[[11月12日]]、WBC世界[[スーパーライト級|ジュニアウェルター級]]王者[[レネ・アルレドンド]]({{MEX}})に挑戦し、6回KO勝ちで王座を獲得、2階級制覇に成功した。
1987年11月12日、WBC世界[[スーパーライト級]]王者[[レネ・アルレドンド]]({{MEX}})に挑戦し、6回KO勝ちで王座を獲得、2階級制覇に成功した。


以後、マウリシオ・アセベス、ハロルド・ブレーザー、[[ロドルフォ・ゴンザレス]]、[[ビニー・パジェンサ]]を相手に4度の防衛に成功した。
以後、マウリシオ・アセベス、ハロルド・ブレーザー、[[ロドルフォ・ゴンザレス]]、[[ビニー・パジェンサ]]を相手に4度の防衛に成功した。


[[1989年]][[5月13日]]、5度目の防衛戦で[[フリオ・セサール・チャベス]]({{MEX}})と対戦し、10回TKO負けで王座から陥落した。
[[1989年]]5月13日、5度目の防衛戦で[[フリオ・セサール・チャベス]]({{MEX}})と対戦し、10回TKO負けで王座から陥落した。


[[1991年]][[12月7日]]、[[国際ボクシング連盟|IBF]]世界ジュニアウェルター級王座決定戦で[[ラファエル・ピネダ]]({{COL}})と対戦し、8回KO負けで王座獲得ならず。
[[1991年]]12月7日、[[国際ボクシング連盟|IBF]]世界スーパライト級王座決定戦で[[ラファエル・ピネダ]]({{COL}})と対戦し、8回KO負けで王座獲得ならず。


[[1995年]][[6月25日]]、IBF世界ジュニアウェルター級王者[[コンスタンチン・チュー]]({{AUS}})に挑戦するも、0-3の大差判定負けで王座獲得に失敗した。
[[1995年]]6月25日、IBF世界パーライト級王者[[コンスタンチン・チュー]]({{AUS}})に挑戦するも、0-3の大差判定負けで王座獲得に失敗した。


[[1999年]][[5月8日]]の試合を最後に引退した。
[[1999年]]5月8日の試合を最後に引退した。


=== トレーナー時代 ===
=== トレーナー時代 ===
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== 獲得タイトル ==
== 獲得タイトル ==
* 第22代[[世界ボクシング協会|WBA]]世界[[スーパーフェザー級|ジュニアライト級]]王座(防衛2)
* 第11代[[世界ボクシング協会|WBA]]世界[[スーパーフェザー級]]王座(防衛2)
* 第20代[[世界ボクシング評議会|WBC]]世界[[スーパーライト級|ジュニアウェルター級]]王座(防衛4)
* 第20代[[世界ボクシング評議会|WBC]]世界[[スーパーライト級]]王座(防衛4)


== 関連項目 ==
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2016年9月9日 (金) 12:07時点における版

ロジャー・メイウェザー
2010年9月、クラブノキアにて
基本情報
本名 Roger L. Mayweather
通称 Black Mamba
階級 ウェルター級
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
誕生日 (1961-04-24) 1961年4月24日(63歳)
出身地 ミシガン州グランドラピッズ
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数 72
勝ち 59
KO勝ち 35
敗け 13
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ロジャー・メイウェザーRoger Mayweather1961年4月24日 - )は、アメリカ合衆国の元プロボクサー、現トレーナー。第11代WBA世界スーパーフェザー級王者。第20代WBC世界スーパーライト級王者。世界2階級制覇王者。フロイド・メイウェザー・シニアは兄であり、フロイド・メイウェザー・ジュニアは甥にあたる。ジェフ・メイウェザーは弟。

引退後は、メイウェザー・ジュニアのトレーナーを長く務めていたが、2013年ごろからパンチドランカーを患い、現在は昔の記憶の大部分を喪失し、メイウェザー・ジュニアの事を誰か認識できないほど症状が悪化している[1]

来歴

プロボクサー時代

1981年7月29日、1回TKO勝ちでプロデビュー。

1982年10月23日、13戦目でルーベン・ムニョス(アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国)に判定勝ちし、USBA全米ライト級王座を獲得。

1983年1月19日、15戦目でWBA世界スーパーフェザー級王者サムエル・セラノプエルトリコの旗 プエルトリコ)に挑戦し、8回TKO勝ちで無敗のまま王座を獲得。以後、2度の防衛に成功した。

1984年2月27日、ロッキー・ロックリッジアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国)と対戦し、1回KO負けで王座から陥落。初黒星を喫した。

1985年7月7日、WBC世界スーパーフェザー級王者フリオ・セサール・チャベスメキシコの旗 メキシコ)に挑戦するも、2回TKO負けで王座獲得に失敗した。

1987年3月28日、NABF北米ライト級王座決定戦でパーネル・ウィテカーアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国)と対戦し、0-3の判定負けで王座獲得に失敗した。

1987年11月12日、WBC世界スーパーライト級王者レネ・アルレドンドメキシコの旗 メキシコ)に挑戦し、6回KO勝ちで王座を獲得、2階級制覇に成功した。

以後、マウリシオ・アセベス、ハロルド・ブレーザー、ロドルフォ・ゴンザレスビニー・パジェンサを相手に4度の防衛に成功した。

1989年5月13日、5度目の防衛戦でフリオ・セサール・チャベスメキシコの旗 メキシコ)と対戦し、10回TKO負けで王座から陥落した。

1991年12月7日、IBF世界スーパーライト級王座決定戦でラファエル・ピネダ コロンビア)と対戦し、8回KO負けで王座獲得ならず。

1995年6月25日、IBF世界スーパーライト級王者コンスタンチン・チューオーストラリアの旗 オーストラリア)に挑戦するも、0-3の大差判定負けで王座獲得に失敗した。

1999年5月8日の試合を最後に引退した。

トレーナー時代

引退後は、甥であるフロイド・メイウェザー・ジュニアのトレーナーとなった。フロイド・メイウェザー・シニアが刑務所から出所する1998年まではトレーナーを務めていたが、出所してきたシニアとトレーナーを代わることになる。しかし2000年3月18日のグレゴリオ・バルガス戦のあとメイウェザー・ジュニアはシニアを解雇、再びロジャー・メイウェザーがトレーナーとして復帰した。

2006年4月8日、メイウェザー・ジュニア vs. ザブ・ジュダーIBF世界ウェルター級タイトルマッチで、10回にメイウェザー・ジュニアがジュダーのローブローとラビットパンチを受けて倒れると、ロジャーがリングに入り相手セコンドと乱闘になった。試合は一時中断された後に続行され、メイウェザー・ジュニアが判定勝ちを収めたが、試合の5日後に、ネバダ州アスレチック・コミッション(NSAC)は、試合の裁定は覆さなかったが、ロジャーに対し20万ドルの罰金と1年間セコンド禁止のサスペンドを課した。

2006年、息子の母方の祖母に暴行を働いたとして刑務所に収監される。このため2006年11月のカルロス・バルドミール戦はメイウェザー・ジュニアに別のトレーナーが就いたが、試合前に刑務所の中からメイウェザー・ジュニアにアドバイスを伝えるロジャー・メイウェザーの映像がテレビ中継で使われた[2]

2009年8月、元教え子の女子ボクサーに暴行を働き、刑務所に6ヶ月間収監される[2]

2013年9月、サウル・アルバレス戦ではロジャーに代わりメイウェザー・シニアがジュニアのトレーナーに就いた。この頃から、パンチドランカー糖尿病を患い、メイウェザー・ジュニアの幼少期やシニアの出所後2年間、自身のセコンド禁止期間及び刑務所収監期間を除き、長い間メイウェザー・ジュニアのトレーナーに就いてきたが、健康状態が優れないことから、トレーナーを廃業した[3]

獲得タイトル

関連項目

脚注

  1. ^ Mayweather: Roger's deteriorating health has influenced my decision to retire”. Bad Left Hook (2015年8月14日). 2015年10月26日閲覧。
  2. ^ a b The Myth and the Reality of Floyd Mayweather Jr”. SecondsOut.com. 2014年2月10日閲覧。
  3. ^ Floyd Mayweather: How His Family's History of Violence Has Shaped Money May”. Bleacher Report (2013年5月3日). 2014年2月13日閲覧。

外部リンク

前王者
サムエル・セラノ
第11代WBA世界スーパーフェザー級王者

1983年1月19日 - 1984年2月26日

次王者
ロッキー・ロックリッジ
前王者
レネ・アルレドンド
第20代WBC世界スーパーライト級王者

1987年11月12日 - 1989年5月13日

次王者
フリオ・セサール・チャベス