ロジャー・メイウェザー

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ロジャー・メイウェザー
Roger Mayweather.jpg
2010年9月、クラブノキアにて
基本情報
本名 Roger L. Mayweather
通称 Black Mamba
階級 ウェルター級
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
誕生日 (1961-04-24) 1961年4月24日(55歳)
出身地 ミシガン州グランドラピッズ
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数 72
勝ち 59
KO勝ち 35
敗け 13
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ロジャー・メイウェザーRoger Mayweather1961年4月24日 - )は、アメリカ合衆国の元プロボクサー、現トレーナー。第11代WBA世界スーパーフェザー級王者。第20代WBC世界スーパーライト級王者。世界2階級制覇王者。フロイド・メイウェザー・シニアは兄であり、フロイド・メイウェザー・ジュニアは甥にあたる。ジェフ・メイウェザーは弟。

引退後は、メイウェザー・ジュニアのトレーナーを長く務めていたが、2013年ごろからパンチドランカーを患い、現在は昔の記憶の大部分を喪失し、メイウェザー・ジュニアの事を誰か認識できないほど症状が悪化している[1]

来歴[編集]

プロボクサー時代[編集]

1981年7月29日、1回TKO勝ちでプロデビュー。

1982年10月23日、13戦目でルーベン・ムニョス(アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国)に判定勝ちし、USBA全米ライト級王座を獲得。

1983年1月19日、15戦目でWBA世界スーパーフェザー級王者サムエル・セラノプエルトリコの旗 プエルトリコ)に挑戦し、8回TKO勝ちで無敗のまま王座を獲得。以後、2度の防衛に成功した。

1984年2月27日、ロッキー・ロックリッジアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国)と対戦し、1回KO負けで王座から陥落。初黒星を喫した。

1985年7月7日、WBC世界スーパーフェザー級王者フリオ・セサール・チャベスメキシコの旗 メキシコ)に挑戦するも、2回TKO負けで王座獲得に失敗した。

1987年3月28日、NABF北米ライト級王座決定戦でパーネル・ウィテカーアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国)と対戦し、0-3の判定負けで王座獲得に失敗した。

1987年11月12日、WBC世界スーパーライト級王者レネ・アルレドンドメキシコの旗 メキシコ)に挑戦し、6回KO勝ちで王座を獲得、2階級制覇に成功した。

以後、マウリシオ・アセベス、ハロルド・ブレーザー、ロドルフォ・ゴンザレスビニー・パジェンサを相手に4度の防衛に成功した。

1989年5月13日、5度目の防衛戦でフリオ・セサール・チャベスメキシコの旗 メキシコ)と対戦し、10回TKO負けで王座から陥落した。

1991年12月7日、IBF世界スーパーライト級王座決定戦でラファエル・ピネダコロンビアの旗 コロンビア)と対戦し、8回KO負けで王座獲得ならず。

1995年6月25日、IBF世界スーパーライト級王者コンスタンチン・チューオーストラリアの旗 オーストラリア)に挑戦するも、0-3の大差判定負けで王座獲得に失敗した。

1999年5月8日の試合を最後に引退した。

トレーナー時代[編集]

引退後は、甥であるフロイド・メイウェザー・ジュニアのトレーナーとなった。フロイド・メイウェザー・シニアが刑務所から出所する1998年まではトレーナーを務めていたが、出所してきたシニアとトレーナーを代わることになる。しかし2000年3月18日のグレゴリオ・バルガス戦のあとメイウェザー・ジュニアはシニアを解雇、再びロジャー・メイウェザーがトレーナーとして復帰した。

2006年4月8日、メイウェザー・ジュニア vs. ザブ・ジュダーIBF世界ウェルター級タイトルマッチで、10回にメイウェザー・ジュニアがジュダーのローブローとラビットパンチを受けて倒れると、ロジャーがリングに入り相手セコンドと乱闘になった。試合は一時中断された後に続行され、メイウェザー・ジュニアが判定勝ちを収めたが、試合の5日後に、ネバダ州アスレチック・コミッション(NSAC)は、試合の裁定は覆さなかったが、ロジャーに対し20万ドルの罰金と1年間セコンド禁止のサスペンドを課した。

2006年、息子の母方の祖母に暴行を働いたとして刑務所に収監される。このため2006年11月のカルロス・バルドミール戦はメイウェザー・ジュニアに別のトレーナーが就いたが、試合前に刑務所の中からメイウェザー・ジュニアにアドバイスを伝えるロジャー・メイウェザーの映像がテレビ中継で使われた[2]

2009年8月、元教え子の女子ボクサーに暴行を働き、刑務所に6ヶ月間収監される[2]

2013年9月、サウル・アルバレス戦ではロジャーに代わりメイウェザー・シニアがジュニアのトレーナーに就いた。この頃から、パンチドランカー糖尿病を患い、メイウェザー・ジュニアの幼少期やシニアの出所後2年間、自身のセコンド禁止期間及び刑務所収監期間を除き、長い間メイウェザー・ジュニアのトレーナーに就いてきたが、健康状態が優れないことから、トレーナーを廃業した[3]

その後も、徘徊から行方がわからなくなって、ジュニアが街中を探し回ることや警察へ捜索を依頼することがあるなど症状は悪化しており[4]、パッキャオ戦の前日にはMGMグランドから自宅まで20マイル(約32キロメートル)もの道のりを1人で徒歩で帰宅するなどしている[1]

獲得タイトル[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b Mayweather: Roger's deteriorating health has influenced my decision to retire”. Bad Left Hook (2015年8月14日). 2015年10月26日閲覧。
  2. ^ a b The Myth and the Reality of Floyd Mayweather Jr”. SecondsOut.com. 2014年2月10日閲覧。
  3. ^ Floyd Mayweather: How His Family's History of Violence Has Shaped Money May”. Bleacher Report (2013年5月3日). 2014年2月13日閲覧。
  4. ^ メイウェザー氏 伯父ロジャーが一時行方不明 ベガス市内で無事発見”. スポニチ (2016年8月1日). 2016年9月28日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

前王者
サムエル・セラノ
WBA世界スーパーフェザー級王者

1983年1月19日 - 1984年2月26日

次王者
ロッキー・ロックリッジ
前王者
レネ・アルレドンド
WBC世界スーパーライト級王者

1987年11月12日 - 1989年5月13日

次王者
フリオ・セサール・チャベス