「サヴォイア公国」の版間の差分
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[[1416年]]、[[サヴォイア家]]の[[フェリクス5世_(対立教皇)|アメデーオ8世]]が、[[神聖ローマ皇帝]][[ジギスムント (神聖ローマ皇帝)|ジギスムント]]から公位を授かり成立した。[[1718年]]に締結された[[ロンドン条約 (1718年)|ロンドン条約]]の結果、[[1720年]]に[[サヴォイア公]][[ヴィットーリオ・アメデーオ2世]]が[[シチリア島]]を手放す代わりに[[サルデーニャ島]]を獲得し、シチリアの王位はそのままサルデーニャの王位ということにし、サルデーニャ王国となった。 |
2015年9月17日 (木) 04:20時点における版
- サヴォイア公国
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← 1416年 - 1720年 → (国旗) (国章) - 国の標語: FERT
16世紀のサヴォイア公国。白線は現国境-
公用語 ピエモンテ語、ラテン語、フランス語、イタリア語 首都 シャンベリ(1416-1562)
トリノ(1562-1714)
サヴォイア公国またはサヴォワ公国(サヴォイアこうこく、伊:Ducato di Savoia, 仏:Duché de Savoie)は、サルデーニャ王国の前身となった公国である。現在のイタリア北西部(現ヴァッレ・ダオスタ州、ピエモンテ州)とフランス東部サヴォワ地方や現アルプ=マリティーム県、ジュネーヴ(現スイス)も含んだ。首都はサヴォイア伯領の頃からシャンベリ(現フランス)であったが、1563年にトリノに遷都された。
1416年、サヴォイア家のアメデーオ8世が、神聖ローマ皇帝ジギスムントから公位を授かり成立した。1718年に締結されたロンドン条約の結果、1720年にサヴォイア公ヴィットーリオ・アメデーオ2世がシチリア島を手放す代わりにサルデーニャ島を獲得し、シチリアの王位はそのままサルデーニャの王位ということにし、サルデーニャ王国となった。