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'''ガーディアン''' (''The Guardian'') は[[イギリス]]の[[新聞]]である。[[1959年]]までマンチェスター・ガーディアンという紙名だったため、今でもこう呼ぶ人も多い。発行部数は263,907部(2011年4月4日-5月1日平均)<ref>[http://www.nmauk.co.uk/nma/do/live/factsAndFigures?newspaperID=12 Newspaper Marketing Agency]</ref>。[[中道左派]]・リベラル寄りと言われ、イギリスにおける読者の多くは[[労働党 (イギリス)|労働党]]か[[自由民主党 (イギリス)|自由民主党]]の支持者である。週刊の国際版として''The Guardian Weekly''がある。[[日曜日]]休刊代わりに'''[[オブザーバー (イギリスの新聞)|オブザーヴァー]]'''(''The Observer'')を発行している。
'''ガーディアン''' (''The Guardian'') は[[イギリス]]の大手一般[[新聞]]である。旧題号は『マンチェスター・ガーディアン』(''The Manchester Guardian'' ; [[1821年]]~[[1959年]])
==概要==
発行部数は26万3,907部(2011年4月4日-5月1日平均)<ref>[http://www.nmauk.co.uk/nma/do/live/factsAndFigures?newspaperID=12 Newspaper Marketing Agency]</ref>。編集方針は[[中道左派]]・リベラル寄りとれ、読者の多くは[[労働党 (イギリス)|労働党]]か[[自由民主党 (イギリス)|自由民主党]]の支持者である。
[[日曜日]]休刊休刊日は『'''[[オブザーバー (イギリスの新聞)|オブザーヴァー]]'''(''The Observer'')を発行している。また、国際版の『ガーディアン・ウィークリー』(''The Guardian Weekly''、週刊)を発行している。


== 歴史 ==
== 歴史 ==
マンチェスター・ガーディアンは[[1821年]][[5月5日]]{{仮リンク|ジョン・エドワード・タイラー|en|John Edward Taylor}}をトップとする[[非国教徒 (イギリス)|非国教会]]系の人たちが創刊た。[[1855年]]から日紙となる。[[1872年]]から57年間編集長を務めC. P. スコットによって有名新聞の仲間入りを果たす。スコットは[[1907年]]に創業者の息子の相続人からこの新聞を買収する。[[1936年]]、相続税対策としてスコット・トラスト社に経営権を移す
マンチェスター・ガーディアンは[[1821年]][[5月5日]]{{仮リンク|ジョン・エドワード・タイラー|en|John Edward Taylor}}らによって[[非国教徒 (イギリス)|非国教会]]系の新聞と[[マンチェスター]]で創された。

[[1855年]]に日刊に移行し、[[1872年]]から[[1927年]]まで57年間にわたり編集長を務めたチャールズ・プレスウィッチ・スコット(Charles Prestwich Scott、[[1846年]]-[[1932年]])の手で有力紙に成長した。スコットは[[1907年]]に社を創業家から買いとり社主を兼務した。スコット没後の[[1936年]]、息子のジョン・スコットが設立したスコット・トラスト社(現:スコット・トラスト有限会社)に新聞社の所有権を移し法人化した。

伝統的に[[自由党 (イギリス)|自由党]](今の[[自由民主党 (イギリス)|イギリス自由民主党]])と友好関係にあり、[[スペイン内戦]]時の論調が国際的評価を集め、左派・リベラル勢力からの信頼を得


[[1959年]]、題号を現在の『ガーディアン』に変更し、[[1964年]]に本社をマンチェスターから[[ロンドン]]に移転したが、[[1970年代]]に経営不振に陥り、一時、『[[タイムズ]]』との合併交渉も行われた。
伝統的に[[自由党 (イギリス)|自由党]](今の[[自由民主党 (イギリス)|イギリス自由民主党]])と友好関係にあり、[[スペイン内戦]]国際的評価を集め、左派勢力からの信頼を得る。[[1959年]]、紙名をガーディアンに変更する。[[1964年]]、[[ロンドン]]に本社を移す


[[1970]]に突入すると経営不振に陥り、一時[[タイムズ]]紙との合併交渉も行われた。 この頃には[[左翼|左派]]的傾向がはっきりする。[[1986年]]、同じ左派色[[新聞]][[インデペンデント]]が創刊他の新聞を巻き込んだ部数競争に突入する[[1988年]]紙面のデザインを変更し、それまで多かった誤字脱字を減らした。[[1993年]]にタイムズが仕掛けた価格競争には加わらない立場をとる。[[アメリカのアフガニスタン侵攻]][[イラク戦争]]には反戦主義読者獲得すイバとなる新聞の少ない[[アメリカ合衆国]]でも読者を増やした。
[[1986年]]には同じリベラル系一般紙『[[インデペンデント]]が創刊され、新聞各紙間の部数競争が激化する中、[[1988年]]紙面のデザインを変更した。[[1993年]]にタイムズ皮切りとなった価格競争には加わらず、[[アメリカのアフガニスタン侵攻]][[イラク戦争]]時には反戦の立場市民から支持されたほか、リベラル系メディアが少ない[[アメリカ合衆国]]でも読者を増やした。


判型は長年にわたりブロードシート判であったが、[[2000年代]]に進んだ一般紙の小型化においては[[ベルリナー判]](470×315 mm)を採用し、[[2005年]][[9月12日]]に移行した。また[[タブロイド判]]であった『ガーディアン・ウィークリー』も[[2007年]]に本紙の半裁にあたる[[ベルリナー判#ハーフ・ベルリナー判|ハーフ・ベルリナー判]]に移行した。
タイムズとインデペンデントが[[タブロイド]]サイズで発行したが、[[2005年]][[9月12日]]からガーディアンもベルリンまたはミディと呼ばれるサイズに紙面を変更した。このサイズはタブロイド紙よりやや大きいサイズ (470×315 mm)で、[[ルモンド]]など[[ヨーロッパ]]の多くの新聞が採用している。


==注釈==
==注釈==

2013年9月13日 (金) 12:51時点における版

The Guardian
種別日刊紙
判型ベルリナー判
所有者ガーディアン・メディア・グループ
編集者Alan Rusbridger
設立1821年
政治的傾向社会自由主義
言語英語
本社所在地キングプレイス英語版
姉妹紙オブザーヴァー
The Guardian Weekly英語版
ISSN0261-3077
OCLC60623878
ウェブサイトguardian.co.uk

ガーディアン (The Guardian) はイギリスの大手一般新聞である。旧題号は『マンチェスター・ガーディアン』(The Manchester Guardian ; 1821年1959年)。

概要

発行部数は26万3,907部(2011年4月4日-5月1日平均)[1]。編集方針は中道左派・リベラル寄りとされ、読者の多くは労働党自由民主党の支持者である。

日曜日休刊で、休刊日は『オブザーヴァー』(The Observer)を発行している。また、国際版の『ガーディアン・ウィークリー』(The Guardian Weekly、週刊)を発行している。

歴史

『マンチェスター・ガーディアン』は1821年5月5日ジョン・エドワード・タイラー英語版らによって非国教会系の新聞としてマンチェスターで創刊された。

1855年に日刊に移行し、1872年から1927年まで57年間にわたり編集長を務めたチャールズ・プレスウィッチ・スコット(Charles Prestwich Scott、1846年1932年)の手で有力紙に成長した。スコットは1907年に社を創業家から買いとり社主を兼務した。スコット没後の1936年、息子のジョン・スコットが設立したスコット・トラスト社(現:スコット・トラスト有限会社)に新聞社の所有権を移し法人化した。

伝統的に自由党(今のイギリス自由民主党)と友好関係にあり、スペイン内戦時の論調が国際的評価を集め、左派・リベラル勢力からの信頼を得た。

1959年、題号を現在の『ガーディアン』に変更し、1964年に本社をマンチェスターからロンドンに移転したが、1970年代に経営不振に陥り、一時、『タイムズ』との合併交渉も行われた。

1986年には同じリベラル系の一般紙『インデペンデント』が創刊され、新聞各紙間の部数競争が激化する中、1988年に紙面のデザインを変更した。1993年に『タイムズ』が皮切りとなった価格競争には加わらず、アメリカのアフガニスタン侵攻イラク戦争時には反戦の立場を取る市民から支持されたほか、リベラル系メディアが少ないアメリカ合衆国でも読者を増やした。

判型は長年にわたりブロードシート判であったが、2000年代に進んだ一般紙の小型化においてはベルリナー判(470×315 mm)を採用し、2005年9月12日に移行した。またタブロイド判であった『ガーディアン・ウィークリー』も2007年に本紙の半裁にあたるハーフ・ベルリナー判に移行した。

注釈

  1. ^ Newspaper Marketing Agency

関連項目

外部リンク