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'''仏哲'''(ぶってつ、生没年不詳)は、[[奈良時代]]の渡来僧。仏徹とも書く。[[チャンパ王国|林邑国]][[フエ]]の出身。
'''仏哲'''(ぶってつ、生没年不詳)は、[[奈良時代]]の渡来僧。'''仏徹'''とも書く。[[チャンパ王国|林邑国]][[フエ]]の出身。


[[インド]]に入り[[菩提僊那]]に師事して密呪に秀でた。唐[[開元]]年間([[713年]] - [[741年]])菩提僊那とともに[[]]に入り、当時日本から唐に入っていた僧[[理鏡]]の招きにより、[[726年]](天平8年)師の菩提僊那・唐の僧[[道セン|道璿]]とともに来日した。[[大宰府]]を経て京に入り、奈良[[大安寺]]に住した。「菩薩」「抜頭」などといった[[舞]]や林邑楽(雅楽の楽種の一つ)を伝え、また多くの密教経典も請来したという。大安寺では林邑楽などを楽人に教え、[[752年]](天平勝宝4年)の[[東大寺]][[大仏]]開眼供養会の際も舞を伝授した。
[[インド]]に入り[[菩提僊那]]に師事して密呪に秀でた。[[]]の[[開元]]年間([[713年]] - [[741年]])菩提僊那とともに唐、当時[[日本]]から唐に滞在していた僧[[理鏡]]の招きにより、[[736年]]([[天平]]8年)師の菩提僊那・唐の僧[[道セン|道璿]]とともに来日した。[[大宰府]]を経て[[平城|都]]に入り、[[大安寺]]に住した。「[[菩薩]][[抜頭]]」などといった[[舞]]や林邑楽(現在のベトナムに伝わった雅楽の楽種の一つ)を伝え、また多くの密教経典、論籍も請来したという。大安寺では林邑楽などを楽人に教え、[[752年]]([[天平勝宝]]4年)の[[東大寺]][[大仏]]開眼供養会の際も舞を伝授した。


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2012年2月11日 (土) 12:47時点における版

仏哲(ぶってつ、生没年不詳)は、奈良時代の渡来僧。仏徹とも書く。林邑国フエの出身。

インドに入り菩提僊那に師事して密呪に秀でた。開元年間(713年 - 741年)菩提僊那とともに入唐、当時日本から唐に滞在していた僧理鏡等の招きにより、736年天平8年)師の菩提僊那・唐の僧道璿等とともに来日した。大宰府を経てに入り、大安寺に住した。「菩薩」、「抜頭」などといったや林邑楽(現在のベトナムに伝わった雅楽の楽種の一つ)を伝え、また多くの密教経典、論籍も請来したという。大安寺では林邑楽などを楽人に教え、752年天平勝宝4年)の東大寺大仏開眼供養会の際も舞を伝授した。