菩提僊那

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菩提僊那(ぼだいせんな、サンスクリットबोधिसेन Bodhisena ボーディセーナ、704年 - 760年3月16日天平宝字4年2月25日))は、奈良時代渡来僧。婆羅門僧正・菩提僧正とも称される。弟子の修栄が撰した『南天竺婆羅門僧正碑』および『東大寺要録』中の「大安寺菩提伝来記」に伝記が残されている。

生涯[編集]

菩提僊那は、インドのバラモン階級に生まれた。姓はバーラードヴァージャ(婆羅門遅)と伝わっている。彼は青年期にローカタクシャ安世高の偉業を追って、ヒマラヤを越えて入唐し、中国五台山にも滞在した(五台山文殊菩薩に会うためという説もある)。

唐では長安崇福寺を拠点に活動していたようで、唐滞在中に日本からの入唐僧理鏡や第十次遣唐使副使中臣名代らの要請により、チャンパ国出身の僧仏哲・唐の僧道璿とともに736年(天平8年)に来日した。3人の僧ははじめ九州の大宰府に赴き、行基に迎えられて平城京に入り、その中の大安寺に住し、時服を与えられた。

僊那は、華厳経の諷誦にすぐれ、呪術にも通じていた。インド呪術は、僊那から日本僧の弟子へ伝授された。

751年(天平勝宝3年)僧正に任じられ、翌752年(天平勝宝4年)4月9日には東大寺盧舎那仏像の開眼供養の導師をつとめている。こうした功績から菩提僊那は、聖武天皇行基良弁とともに東大寺「四聖」としてその功を称えられている。

760年(天平宝字4年)2月25日、僊那は大安寺にて西方を向いて合掌したまま死去した。翌3月2日、登美山右僕射林に葬られた。残された僅かな図画を基に、2002年の開眼1250年法要の機会に菩提僊那像が製作され、現在、本堂に安置されている。日本人とは異相で、眼も緑色に彩色されている。