「本願寺鷺森別院」の版間の差分

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== 歴史 ==
== 歴史 ==
寺に伝わる『鷺森旧事記』(元禄6年・1693年成立)によれば、当別院は文明8年(1476年)、紀伊国冷水浦(しみずうら、和歌山県[[海南市]]冷水)に建てられた冷水道場をその前身とする。冷水浦の喜六大夫は、熊野参詣の途上で冷水浦を訪れた[[蓮如]]に帰依し、蓮如から了賢という法名と、親鸞・蓮如連座の画像(二尊像)を得、冷水道場を建立したという。なお、史実としては、蓮如が文明8年に熊野参詣をしたという事実はなく、鷺森別院に現存する二尊連座像に文明8年の蓮如自筆裏書があることから、上述の伝承が生じたものと推定されている<ref>創建経緯については『日本歴史地名大系 和歌山県の地名』(「鷺森別院」の項)による。</ref>。
寺に伝わる『鷺森旧事記』([[元禄]]6年・[[1693年]]成立)によれば、当別院は[[文明 (日本)|文明]]8年([[1476]])、紀伊国冷水浦(しみずうら、和歌山県[[海南市]]冷水)に建てられた冷水道場をその前身とする。冷水浦の喜六大夫は、熊野参詣の途上で冷水浦を訪れた[[蓮如]]に帰依し、蓮如から了賢という法名と、親鸞・蓮如連座の画像(二尊像)を得、冷水道場を建立したという。なお、史実としては、蓮如が文明8年に熊野参詣をしたという事実はなく、鷺森別院に現存する二尊連座像に文明8年の蓮如自筆裏書があることから、上述の伝承が生じたものと推定されている<ref>創建経緯については『日本歴史地名大系 和歌山県の地名』(「鷺森別院」の項)による。</ref>。


寺はその後永正4年(1507年)に名草郡黒江(海南市黒江)、天文19年(1550年)に[[和歌浦]][[秋葉山 (和歌山県)|弥勒寺山]](和歌山市)、永禄6年(1563年)に雑賀庄鷺森(現在地)に移転した。
寺はその後[[永正]]4年([[1507]])に名草郡黒江(海南市黒江)、[[天文 (元号)|天文]]19年([[1550]])に[[和歌浦]][[秋葉山 (和歌山県)|弥勒寺山]](和歌山市)、[[永禄]]6年([[1563]])に雑賀庄鷺森(現在地)に移転した。


天正8年から11年([[1580年]]から[[1583年]])には[[織田信長]]との和睦によって[[大坂]]の[[石山本願寺]]から退去した宗主[[顕如]]が当寺に滞在し、[[浄土真宗]]の本拠地として位置づけられていた。
[[天正]]8年から11年([[1580年]]から[[1583年]])には[[織田信長]]との和睦によって[[大坂]]の[[石山本願寺]]から退去した宗主[[顕如]]が当寺に滞在し、[[浄土真宗]]の本拠地として位置づけられていた。


しかし、その後、[[豊臣秀吉]]の[[紀州征伐#秀吉の紀州攻め|紀州征伐]]によって急速に衰退し、[[江戸時代]]には紀州門徒の支援によって、[[明和]]5年([[1768年]])に再興したが、[[第二次世界大戦]]には[[和歌山大空襲]]によって焼失した。現在の建物は[[1948年]]に再建、その後改築されたものである。
しかし、その後、[[豊臣秀吉]]の[[紀州征伐#秀吉の紀州攻め|紀州征伐]]によって急速に衰退し、[[江戸時代]]には紀州門徒の支援によって、[[明和]]5年([[1768年]])に再興したが、[[第二次世界大戦]]には[[和歌山大空襲]]によって焼失した。現在の建物は[[1948年]]([[昭和]]23年)に再建、その後改築されたものである。


== 主な行事 ==
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== 関連施設 ==
== 関連施設 ==
* [[日高別院]] - [[和歌山県]][[御坊市]]御坊100にある別院。
* [[日高別院]] - [[和歌山県]][[御坊市]]御坊100にある別院。
* [[鷺森幼稚園]] - 鷺森別院内にある[[幼稚園]]。1926年創立。
* [[鷺森幼稚園]] - 鷺森別院内にある[[幼稚園]]。[[1926年]]創立。
[[ファイル:Saginomori01.jpg|thumb|本願寺鷺森別院の石標]]
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== 脚注 ==
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== 関連項目 ==
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* [[雑賀衆]]


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== 外部サイト ==
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* [http://www.saginomori.or.jp/ 本願寺鷺森別院/公式ホームページ]
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2011年12月23日 (金) 23:11時点における版

本願寺鷺森別院
所在地 和歌山県和歌山市鷺ノ森1
位置 北緯34度14分10.306秒 東経135度10分15.434秒 / 北緯34.23619611度 東経135.17095389度 / 34.23619611; 135.17095389
山号 龍谷山
宗旨 浄土真宗
宗派 浄土真宗本願寺派
寺格 鷺森別院
本尊 阿弥陀如来
創建年 文明8年(1476年)10月
開基 蓮如
中興年 享保8年(1723年)3月
正式名 本願寺鷺森別院
別称 雜賀御坊
鷺森本願寺
文化財 二尊像・親鸞聖人御絵伝
公式サイト [[1] 本願寺鷺森別院沿革]
法人番号 1170005000754 ウィキデータを編集
テンプレートを表示

本願寺鷺森別院(ほんがんじさぎのもりべついん)は、和歌山県和歌山市鷺ノ森にある浄土真宗本願寺派寺院雜賀御坊(さいかごぼう)、鷺森本願寺とも。京都市にある西本願寺の別院である。

歴史

寺に伝わる『鷺森旧事記』(元禄6年・1693年成立)によれば、当別院は文明8年(1476年)、紀伊国冷水浦(しみずうら、和歌山県海南市冷水)に建てられた冷水道場をその前身とする。冷水浦の喜六大夫は、熊野参詣の途上で冷水浦を訪れた蓮如に帰依し、蓮如から了賢という法名と、親鸞・蓮如連座の画像(二尊像)を得、冷水道場を建立したという。なお、史実としては、蓮如が文明8年に熊野参詣をしたという事実はなく、鷺森別院に現存する二尊連座像に文明8年の蓮如自筆裏書があることから、上述の伝承が生じたものと推定されている[1]

寺はその後永正4年(1507年)に名草郡黒江(海南市黒江)、天文19年(1550年)に和歌浦弥勒寺山(和歌山市)、永禄6年(1563年)に雑賀庄鷺森(現在地)に移転した。

天正8年から11年(1580年から1583年)には織田信長との和睦によって大坂石山本願寺から退去した宗主顕如が当寺に滞在し、浄土真宗の本拠地として位置づけられていた。

しかし、その後、豊臣秀吉紀州征伐によって急速に衰退し、江戸時代には紀州門徒の支援によって、明和5年(1768年)に再興したが、第二次世界大戦には和歌山大空襲によって焼失した。現在の建物は1948年昭和23年)に再建、その後改築されたものである。

主な行事

関連施設

本願寺鷺森別院の石標

所在地

  • 〒640-8053
    • 和歌山県和歌山市鷺ノ森1番地

交通アクセス

脚注

  1. ^ 創建経緯については『日本歴史地名大系 和歌山県の地名』(「鷺森別院」の項)による。

参考文献

  • 『日本歴史地名大系 和歌山県の地名』(「鷺森別院」の項)、平凡社、1983

関連項目

外部サイト