「畠山政国」の版間の差分
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2011年11月23日 (水) 06:17時点における版
時代 | 戦国時代 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 天文19年8月12日(1550年9月22日)? |
別名 | 三郎(通称) |
戒名 | 後昌院花園宗貞 |
官位 | 上総介、修理大夫、播磨守、尾張守 |
幕府 | 室町幕府紀伊・河内・越中守護 |
氏族 | 畠山尾州家 |
父母 | 父:畠山尚順 |
兄弟 | 稙長、長経、政国、晴熙 |
子 | 高政、政尚、昭高 |
畠山 政国(はたけやま まさくに)は戦国時代の武将。紀伊・河内・越中の守護大名、戦国大名。畠山尾州家の出身。
生涯
畠山氏は室町幕府三管領のひとつであり、政国はその嫡流筋である。しかし、幕政においては曾祖父畠山政長が細川政元に自害に追い込まれてより幕府参画の機会を失った上、嫡流の座をめぐって総州家と尾州家に分裂。尾州家有利といえども分裂状態は政国の代になってもなお解消されず、下剋上さえも起きる戦国時代にあって、守護の実権をめぐって重臣の権力争いに悩まされていた。
兄の稙長が畠山総州家の家臣木沢長政によって追放され、続いてもう1人の兄である長経が暗殺されると、長政により当主として擁立され、総州家の畠山在氏と協調して統治にあたった。しかし政国は在氏と同様傀儡であり、実権は長政や遊佐長教が握っていた。
天文11年(1542年)、長政が太平寺の戦いで戦死すると後ろ盾を失い、重臣によって河内から追放され紀伊で出家した。天文14年(1545年)に当主として復帰した稙長が没すると、長教が推す弟の晴熙が当主となり、政国はその後見にあたった。晴熙の引退後は政国の嫡男である高政が当主となっている。
天文19年(1550年)に没したといわれているが、天文21年(1552年)の段階で隠居として健在であった記録が存在するため、現在では天文年間末期頃の死没とする見方もある。
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