「アントナン・アルトー」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
ZéroBot (会話 | 投稿記録)
m r2.7.1) (ロボットによる 追加: no:Antonin Artaud
58行目: 58行目:
[[ko:앙토냉 아르토]]
[[ko:앙토냉 아르토]]
[[nl:Antonin Artaud]]
[[nl:Antonin Artaud]]
[[no:Antonin Artaud]]
[[pl:Antonin Artaud]]
[[pl:Antonin Artaud]]
[[pt:Antonin Artaud]]
[[pt:Antonin Artaud]]

2011年8月30日 (火) 19:56時点における版

アントナン・アルトー(Antonin Artaud, 1896年9月4日 - 1948年3月4日)は、フランスの俳優・詩人・小説家・演劇家。

生涯

幼少から髄膜炎で以後も苦しみ、一生阿片などの麻薬を服用する。1920年ごろから俳優活動をはじめ、また詩もものし始める。一時シュールレアリスム運動に加わるも、ブルトンと衝突。『NRF』誌のリビエールとの交信は有名。アルフレッド・ジャリ劇場を創設し、身体演劇である「残酷劇」を提唱。現代演劇に絶大な影響を与える。

1920年代後半には映画に関わる仕事が続く。アベル・ガンス監督の超大作映画『ナポレオン』(1926年)出演(ジャン=ポール・マラー役)に続いて、サイレント映画の最高峰と評されるカール・ドライヤー監督の『裁かるゝジャンヌ』(1927年)に出演(修道士ジャン・マシュー役)。また同じ時期にジェルメーヌ・デュラック監督『貝殻と僧侶』(1927年)の脚本を書いている。

1936年、アイルランド旅行中に精神病院に収監され、1947年に退院するが、その体験を後に告発した。『ヴァン・ゴッホ』でサント・ブーブ賞受賞。その思想はドゥルーズデリダに影響を与え、その演劇論はピーター・ブルックらに受け継がれる。

日本語訳された著作

関連項目

外部リンク