「長崎海軍伝習所」の版間の差分
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2005年12月12日 (月) 09:53時点における版
長崎海軍伝習所(ながさきかいぐんでんしゅうじょ)は、安政2年(1855年)に江戸幕府が海軍士官養成のため長崎に設立した教育機関。幕臣や雄藩藩士から選抜して、オランダ人教師によって西洋技術・航海術・蘭学・諸科学などを学ばせた。
安政2年(1855年)第1期生は江戸出身者37名と他藩128名(薩摩藩16名・肥後藩5名・筑前藩28名・長州藩15名・肥前藩47名・津藩12名・備後藩4名・掛川藩1名)、安政3年(1856年)第2期生は幕臣12名、安政4年(1857年)第3期生は26名集まったが、安政4年(1857年)3月に総監永井尚志はじめ多数の伝習生が新設された築地軍艦操練所に移動したため、長崎海軍伝習生は45名程になった。安政6年(1859年)には閉鎖され、慶応2年(1866年)には横浜海軍伝習所が設立された。
総監
教師
伝習生
- 第1期幕臣 勝海舟
- 第1期幕臣 永持亨次郎
- 第1期幕臣 望月大象
- 第1期幕臣 鈴鹿勇次郎
- 第1期幕臣 中島三郎助
- 第1期幕臣 下曽根次郎助
- 第1期幕臣 矢田掘景蔵
- 第1期肥前藩 鍋島斉正
- 第1期薩摩藩 川村純義
- 第1期薩摩藩 五代友厚
- 第1期佐賀藩 佐野常民
- 第1期 小野友五郎
- 第1期 真木安左衛門
- 第2期幕臣頭取 伊沢謹吾
- 第2期幕臣 榎本武揚
- 第2期佐賀藩 中牟田倉之助
- 第3期幕臣 沢太郎左衛門
- 第3期幕臣 赤松大三郎
- 第3期幕臣 内田恒次郎
- 田中久重
- 松岡磐吉
- 伴鉄太郎