「ロベルト・バルボン」の版間の差分
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既に50年以上日本に在住しており、非常に流暢でギャグも交えた関西弁を喋る(この為「関西人より関西弁に精通している」とまで評された)。通訳をしていた頃、その関西弁と、あまりにアバウトな訳のため、関西人の間では常に笑いの種にされていた愛嬌のある人物でもある。 |
既に50年以上日本に在住しており、非常に流暢でギャグも交えた関西弁を喋る(この為「関西人より関西弁に精通している」とまで評された)。通訳をしていた頃、その関西弁と、あまりにアバウトな訳のため、関西人の間では常に笑いの種にされていた愛嬌のある人物でもある。 |
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『[[サンテレビボックス席]]』の第1回放送での解説者であり、また現役中の[[1964年]]には[[渥美清]]主演の映画『[[続・拝啓天皇陛下様]]』に連合軍兵士の役で出演している。 |
『[[サンテレビボックス席]]』の第1回放送での解説者であり、また現役中の[[1964年]]には[[渥美清]]主演の映画『[[続・拝啓天皇陛下様]]』に連合軍兵士の役で出演したほか、[[1967年]]には東宝映画『[[クレージーの怪盗ジバコ]]』にも名つきの役どころで出演している。 |
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[[浜田雅功]]らが司会を努める[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系のスポーツバラエティ番組『[[ジャンクSPORTS]]』に出演歴あり。 |
[[浜田雅功]]らが司会を努める[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系のスポーツバラエティ番組『[[ジャンクSPORTS]]』に出演歴あり。 |
2008年6月20日 (金) 14:22時点における版
ロベルト・バルボン(Roberto Barbon, 1933年3月13日 - )はキューバ出身のプロ野球選手(内野手)。右投げ右打ち。愛称は「チコ(Chico)」(スペイン語で「坊や」「チビ」などの意)。「チコ・バルボン(Chico Barbon)」とも。
来歴・人物
1955年に阪急ブレーブスに入団。1年目から49盗塁するなど俊足を武器に活躍。1958年(38盗塁)、1959年(38盗塁)、1960年(35盗塁)と3度の盗塁王。1964年に1000本安打を達成。翌1965年に近鉄バファローズに移籍、同年引退した。
2007年5月10日に、オリックスのタフィ・ローズが1354試合出場を果たすまでは、歴代外国人選手のトップの最多出場数1353試合であった。
性格が明るく「チコ」と呼ばれて親しまれた。在籍中に日本語(関西弁)をマスターし、祖国でキューバ革命が起こったこともあって引退後も日本で生活。ボビー・マルカーノが阪急に入団した1975年、スペイン語通訳の仕事で阪急に復帰。以後も阪急・オリックスを通じて球団職員として勤務。現在はオリックス野球教室校長。2005年にはNPB12球団ジュニアトーナメントにオリックスJr.監督として出場した。野球エージェントとなっているブーマー・ウェルズの通訳なども務めた事がある。最近ではアレックス・カブレラの通訳兼教育係として元気な姿を見せている。
既に50年以上日本に在住しており、非常に流暢でギャグも交えた関西弁を喋る(この為「関西人より関西弁に精通している」とまで評された)。通訳をしていた頃、その関西弁と、あまりにアバウトな訳のため、関西人の間では常に笑いの種にされていた愛嬌のある人物でもある。
『サンテレビボックス席』の第1回放送での解説者であり、また現役中の1964年には渥美清主演の映画『続・拝啓天皇陛下様』に連合軍兵士の役で出演したほか、1967年には東宝映画『クレージーの怪盗ジバコ』にも名つきの役どころで出演している。
浜田雅功らが司会を努めるフジテレビ系のスポーツバラエティ番組『ジャンクSPORTS』に出演歴あり。
背番号
- 8 (1955年~1961年)
- 4 (1962年~1964年、1974年)
- 14 (1965年)
- 73 (1975年)
年度別打撃成績
- 表中の太字はリーグ最多数字
年度 | チーム | 背 番 号 |
試合 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁 打 |
三塁 打 |
本塁 打 |
塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四死 球 |
三振 | 打率(順位) |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1955年 | 阪急 | 8 | 141 | 583 | 105 | 163 | 23 | 13 | 5 | 227 | 48 | 49 | 9 | 6 | 58 | 70 | .280(17) |
1956年 | 152 | 590 | 94 | 141 | 26 | 8 | 6 | 201 | 31 | 55 | 12 | 3 | 66 | 77 | .239(29) | ||
1957年 | 122 | 479 | 75 | 102 | 16 | 3 | 8 | 148 | 30 | 33 | 6 | 2 | 57 | 66 | .213(27) | ||
1958年 | 128 | 515 | 76 | 138 | 27 | 10 | 4 | 197 | 32 | 38 | 6 | 2 | 48 | 64 | .268(11) | ||
1959年 | 132 | 481 | 66 | 112 | 11 | 3 | 2 | 135 | 23 | 38 | 7 | 1 | 35 | 51 | .233(23) | ||
1960年 | 116 | 387 | 52 | 87 | 14 | 4 | 1 | 112 | 22 | 32 | 8 | 1 | 37 | 54 | .225(28) | ||
1961年 | 120 | 391 | 41 | 84 | 12 | 2 | 0 | 100 | 12 | 20 | 6 | 1 | 21 | 69 | .215 | ||
1962年 | 4 | 107 | 310 | 36 | 74 | 11 | 3 | 3 | 100 | 15 | 14 | 6 | 0 | 17 | 38 | .239 | |
1963年 | 114 | 299 | 26 | 67 | 9 | 3 | 3 | 91 | 22 | 14 | 1 | 0 | 27 | 45 | .224 | ||
1964年 | 96 | 172 | 23 | 49 | 5 | 1 | 0 | 56 | 10 | 4 | 3 | 1 | 6 | 20 | .285 | ||
1965年 | 近鉄 | 14 | 125 | 459 | 50 | 106 | 12 | 2 | 1 | 125 | 15 | 11 | 10 | 0 | 25 | 54 | .231(28) |
通算成績 | 1353 | 4666 | 644 | 1123 | 166 | 52 | 33 | 1492 | 260 | 308 | 74 | 17 | 397 | 608 | .241 |
タイトル・表彰・記録
- 盗塁王:3回 (1958~1960)
- 現在に至るまで、外国人選手で盗塁王となっているのはバルボンとレインズの2人のみ。いずれも阪急所属時に記録している。
関連項目
外部リンク
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