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[[1985年]]の[[ル・マン24時間レース]]で優勝し、1989年の日本GPにおいてミナルディからF1デビュー。翌1990年もミナルディからF1に参戦するが、14戦エントリーして予選通過が8戦と成績はあまり振るわなかった。特に、1990年のアメリカGPでは、体調不良というドライバーとしては致命的な理由でリタイヤを喫している。
[[1985年]]の[[ル・マン24時間レース]]で優勝し、1989年の日本GPにおいてミナルディからF1デビュー。翌1990年もミナルディからF1に参戦するが、14戦エントリーして予選通過が8戦と成績はあまり振るわなかった。特に、1990年のアメリカGPでは、体調不良というドライバーとしては致命的な理由でリタイヤを喫している。


1987 - 1989年には[[全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権]](JSPC)に参戦したほか、1989年には[[中嶋企画]]から全日本[[フォーミュラ3000|F3000]]選手権に参戦するなど、日本のレース界との関わりも少なくない。
1987 - 1989年には[[全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権]](JSPC)に参戦した
また、1989年には[[中嶋企画]]から全日本[[フォーミュラ3000|F3000]]選手権に参戦し、ランキング11位(最高位2位)を獲得するなど、日本のレース界との関わりも少なくない。

1989年は[[ブリヂストン]]と[[M-TEC|無限]]F1エンジンのテストドライバーもこなした<ref>http://ms.bridgestone.co.jp/history/html_file/history-034.htm</ref>。


バリラ社の御曹司でありながら、直接的な支援を受けず、スポンサーはあくまでも自前で用意していた(ネームバリュー含め、間接的にはあったかもしれないが)。そのため、黒一色のデザインのヘルメットにはあまり大きなステッカーがつかず、地味さにより一層の拍車がかかっていた。とはいえ、商才として大事なことを学んだには違いない。
バリラ社の御曹司でありながら、直接的な支援を受けず、スポンサーはあくまでも自前で用意していた(ネームバリュー含め、間接的にはあったかもしれないが)。そのため、黒一色のデザインのヘルメットにはあまり大きなステッカーがつかず、地味さにより一層の拍車がかかっていた。とはいえ、商才として大事なことを学んだには違いない。

2008年2月24日 (日) 04:13時点における版

パオロ・バリッラ
F1での経歴
国籍 イタリアの旗 イタリア
所属チーム ミナルディ
活動時期 1989 - 1990
出走回数 9
優勝回数 0
通算獲得ポイント 0
表彰台(3位以内)回数 0
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
F1デビュー戦 1989年日本GP
初勝利
最終勝利
最終戦 1990年ベルギーGP
タイトル 0
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パオロ・バリッラPaolo Barilla, 1961年4月20日 - )はイタリア生まれの元F1ドライバー。現在、父ピエトロの指導でイタリアの食品会社バリラの副社長をしている。

プロフィール

1985年ル・マン24時間レースで優勝し、1989年の日本GPにおいてミナルディからF1デビュー。翌1990年もミナルディからF1に参戦するが、14戦エントリーして予選通過が8戦と成績はあまり振るわなかった。特に、1990年のアメリカGPでは、体調不良というドライバーとしては致命的な理由でリタイヤを喫している。

1987 - 1989年には全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権(JSPC)に参戦した。 また、1989年には中嶋企画から全日本F3000選手権に参戦し、ランキング11位(最高位2位)を獲得するなど、日本のレース界との関わりも少なくない。

1989年はブリヂストン無限F1エンジンのテストドライバーもこなした[1]

バリラ社の御曹司でありながら、直接的な支援を受けず、スポンサーはあくまでも自前で用意していた(ネームバリュー含め、間接的にはあったかもしれないが)。そのため、黒一色のデザインのヘルメットにはあまり大きなステッカーがつかず、地味さにより一層の拍車がかかっていた。とはいえ、商才として大事なことを学んだには違いない。

現在はバリラの副社長業の傍らドライバー活動も散発的ながら継続しており、2004年にはパリ・ダカールラリーメルセデスのトラックを駆って出場している。

関連項目

  1. ^ http://ms.bridgestone.co.jp/history/html_file/history-034.htm