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2008年1月16日 (水) 11:37時点における版
ヨーロッパ世界(ヨーロッパせかい)とは、ヨーロッパにおいて、ゲルマン民族の大移動後、ゲルマン民族の習俗と古代ローマの文明、さらにキリスト教信仰との融合、及び東ローマ帝国のビザンチン文化、キリスト教信仰とスラブ人の習俗との融合の結果できた歴史的な世界である。
古代ギリシア、古代ローマの地中海世界の後に登場した世界である。
ヨーロッパ世界の形成
ヨーロッパ世界の形成はローマ帝国の東西分裂に伴い、旧西ローマ帝国の中ではローマ教会が、東ローマ帝国の中では東方正教会が大きな影響力を有しながら展開していった。地中海世界との比較では、地中海世界が領域としていた北アフリカ地域がイスラム世界に組み込まれ、喪失する一方、地中海世界の外であった東ヨーロッパ、北ヨーロッパをその領域に組み込んでいることである。この領域は現在「ヨーロッパ」と呼んでいる地域とほぼ一致する。
西ヨーロッパでのキリスト教世界の形成
ゲルマン民族の大移動によって西ローマ帝国が滅亡すると、西ヨーロッパをゲルマン民族が席捲した。その際、ラテン人のローマ人との文化的融合が行われ、ゲルマン人はキリスト教を受容した。やがて各地にゲルマン人を主体とする王国が形成され、それはやがてフランク王国に収斂されて行った。カール大帝がローマ教皇によって西ローマ皇帝に戴冠すると、キリスト教(カトリック)を信仰するゲルマン人を主体とする世界が形成されていった。特にキリスト信仰は文明のバックボーンとなりゲルマン人に続いてマジャル人もカトリック受容によってこの文明世界の構成員となっていくことになる。これに続き、ヴァイキング後に成立した北欧諸国のカトリック化によってほぼ現在の西ヨーロッパにおけるヨーロッパ世界が完成したと言える。
東ヨーロッパでのキリスト教世界の形成
東ローマ帝国も参照
東ローマ帝国はローマ帝国分裂後も1000年近く命脈を保ったたため、周囲の東ヨーロッパ、バルカン半島地域のキリスト教化によるヨーロッパ世界の展開は東ローマ帝国と東方正教会と移住してきたスラヴ人との闘争と融和のよって進行されていった。
東ローマ帝国は西ローマ帝国の滅亡後、「ローマの後継者」として「地中海帝国」の復活を目指した。ユスティニアヌス帝のころ、ローマ帝国の領域をほぼ征服することに成功、地中海帝国の再興にこぎつけた。しかし、神聖ローマ帝国の成立やヴァイキングの侵攻、スラヴ人の流入、イスラム世界の勃興など外部的要因で地中海帝国の維持には失敗し、ヘラクレイオス王朝の頃にはギリシア人の帝国として東ローマ帝国はバルカン半島、東ヨーロッパ地域の征服およびキリスト教の布教に専念するようになった。
一方、バルカン、東ヨーロッパ地域に移住してきたスラヴ人たちは、独自の王国を建設。北方十字軍等の西ヨーロッパ世界の干渉や東ローマ帝国と激しく戦う一方で、東方正教会およびビザンツ文化を受容するようになっていった。
ヨーロッパ世界の展開
ヨーロッパ世界の形成はキリスト教を支柱とする完成したが、同時に内外の要因によって多様性を深めていった。また西ヨーロッパでは教皇と皇帝の対立、さらにシスマなど内部的要因で展開した。東ヨーロッパではイスラム世界との接触および、モンゴル帝国の侵攻という外部的要因にさらされ展開した。
イスラム世界の影響は十字軍という形で東西ヨーロッパに影響を与えただけでなく、オスマン帝国による征服と圧力という形で長期的な影響を与え続けることになった。
東西教会の分裂
十字軍
十字軍を参照
モンゴル帝国とイスラム帝国の衝撃
モンゴル帝国を参照
二つの楕円
ヨーロッパ世界は二つの楕円式構造を有している。
カトリックと東方正教会
宗教において、カトリック教会と東方正教会という二つの中心を有しているのがこの世界の特徴である。この直接の発端は東西教会の分裂に始まるが、遠くはローマ帝国の東西分裂に由来する。
教皇と皇帝
カトリック教会を精神的支柱として西ヨーロッパ世界では、神聖ローマ帝国の成立以後、精神世界の頂点である教皇と世俗の頂点である皇帝との対立が生じた。これは叙任権闘争によって顕在化することになる。
ヨーロッパ世界の変質
ローマ教会と神聖ローマ皇帝が主導する西ヨーロッパのカトリック世界と東ローマ帝国とスラブ人王国が主導する東ヨーロッパの東方正教世界からなる「ヨーロッパ世界」は以下のような外部的要因と内部的要因によって変質していき、新たな局面を迎える。