「グランマ・プリスブリーのボトルヴィレッジ」の版間の差分

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'''プリスブリーおばあちゃんのボトルヴィレッジ'''({{Lang-en|Grandma Prisbrey's Bottle Village}})は[[カリフォルニア州]][[シミバレー]]にある、ボトル(瓶)などの廃棄物を利用した[[環境アート|環境芸術]]である。単にボトルヴィレッジと言われることもある。1950年代から1970年代頃にかけて、「グランマ」ことトレッサ・プリスブリー(1896-1988)によって製作された。トレッサ・プリスブリーは地元のごみ処理場から出た廃棄物やリサイクル品を利用して、聖堂などの建物やそれをつなぐ歩道、さまざまな立体造形からなる「村」をつくりあげたのである。[[アメリカ合衆国国家歴史登録財]]に指定されている。
'''プリスブリーおばあちゃんのボトルヴィレッジ'''({{Lang-en|Grandma Prisbrey's Bottle Village}})は[[カリフォルニア州]][[シミバレー]]にある、ボトル(瓶)などの廃棄物を利用した[[環境アート|環境芸術]]である。単にボトルヴィレッジと言われることもある。1950年代から1970年代頃にかけて、「グランマ」ことトレッサ・プリスブリー(1896-1988)によって製作された。トレッサ・プリスブリーは地元のごみ処理場から出た廃棄物やリサイクル品を利用して、聖堂などの建物やそれをつなぐ歩道、さまざまな立体造形からなる「村」をつくりあげた。この建築物群は、[[アメリカ合衆国国家歴史登録財]]に指定されている。


== 建造物 ==
== 建造物 ==
0.13ヘクタールほどの場所にトレッサ・「グランマ」・プリスブリーが、打ち捨てられた[[瓶]](ボトル)をはじめとする様々な不要品などを用いてひとりで創り上げた建造物群あり、聖堂や願掛けの井戸、歩道、噴水、さまざまな家などからなる<ref name=":2" />。ハート、ダイヤモンド、スペードの[[飛石]]は、トレッサが[[ネバダ州]][[ラスベガス]]を訪れた時のことを象徴している。トレッサは[[セメント]]で形を作り、その中に[[ハサミ]]などを手当たり次第に再利用して詰め込んだ。[[ドールハウス]]はトレッサが所蔵していた600体もの人形のコレクションを収めるために建てられた。トレッサは毎日この家に行き、人形の着せ替えをしていたという<ref>{{cite web |last=Light & Saraf |title=Grandma's Bottle Village: The Art of Tressa Prisbrey |url=https://www.youtube.com/watch?v=inOvmkF1fLA |work=Film |access-date=25 February 2012 |publisher=American Visionary Art Museum}}</ref>。
この建築物群は、0.13ヘクタールほどの場所にトレッサ・プリスブリーが、捨てられた[[瓶]](ボトル)をはじめとする様々な不要品などを用いて一人で創り上げたもので、聖堂や願掛けの井戸、歩道、噴水、さまざまな家などからなっている<ref name=":2" />。ハート、ダイヤモンド、スペードの[[飛石]]は、トレッサが[[ネバダ州]][[ラスベガス]]を訪れた時のことを象徴している。トレッサは[[セメント]]で形を作り、その中に[[ハサミ]]などを手当たり次第に再利用して詰め込んだ。[[ドールハウス]]はトレッサが所蔵していた600体もの人形のコレクションを収めるために建てられた。トレッサは毎日この家に行き、人形の着せ替えをしていたという<ref>{{cite web |last=Light & Saraf |title=Grandma's Bottle Village: The Art of Tressa Prisbrey |url=https://www.youtube.com/watch?v=inOvmkF1fLA |work=Film |access-date=25 February 2012 |publisher=American Visionary Art Museum}}</ref>。


老朽化により1984年にはツアーによる一般向け公開が終了した<ref name=":0" />。さらに1994年の[[ノースリッジ地震]]で大きな被害をうけたものの、修復に必要な資金が集まらず、以降も放置された状態にある<ref name=":0" />。
老朽化により1984年にはツアーによる一般向け公開が終了した<ref name=":0" />。さらに1994年の[[ノースリッジ地震]]で大きな被害をうけたものの、修復に必要な資金が集まらず、以降も放置された状態にある<ref name=":0" />。


==トレッサ・プリスブリー==
==トレッサ・プリスブリー==
トレッサ・プリスブリー・ルエラ・シェーファーは1896年に[[ミネソタ州]][[イーストン (ペンシルベニア州)|イーストン]]で生まれた。トレッサは12歳まで学校に通い、ノースダコタ州で主に政治を勉強した。15歳の時にはトレッサは姉の前夫で37歳年上のセオドア・グリノルズ(52歳)と結婚した。セオドアとの結婚生活は14年しか続かなかったが、その間に7人の子供をもうけた。72歳でセオドアが亡くなった後、トレッサは7人の子供たちと[[シアトル]]に移住し、無職の男性と結婚したが、その結婚生活はとても短に終わった。トレッサは生前、7人の子供のうち6人(男4人、女2人が亡くなるのを目の当たりにした<ref>{{cite news|last=Cooper|first=Arnie|title=Grandma Prisbrey Built a Village Made of Bottles|url=https://www.wsj.com/articles/SB122454634669052175|accessdate=25 February 2012|newspaper=Wall Street Journal|year=2008}}</ref>。
トレッサ・プリスブリー・ルエラ・シェーファーは1896年に[[ミネソタ州]][[イーストン (ペンシルベニア州)|イーストン]]で生まれた。トレッサは12歳まで学校に通い、ノースダコタ州で主に政治を勉強した。15歳の時にはトレッサは姉の前夫で37歳年上のセオドア・グリノルズと結婚した。セオドアとの結婚生活は14年しか続かなかったが、その間に7人の子供をもうけた。72歳でセオドアが亡くなった後、トレッサは7人の子供たちと[[シアトル]]に移住し、無職の男性と結婚したが、その結婚生活はとても短いうちに終わった。トレッサ7人の子供のうち男4人、女2人の計6人はトレッサ存命中に亡くなってまった<ref>{{cite news|last=Cooper|first=Arnie|title=Grandma Prisbrey Built a Village Made of Bottles|url=https://www.wsj.com/articles/SB122454634669052175|accessdate=25 February 2012|newspaper=Wall Street Journal|year=2008}}</ref>。


1956年、トレッサはアル・プリスブリーと出会って結婚した。この頃、60歳でボトルヴィレッジの建設を始めた<ref name=":2">{{Cite web |title=Grandma Prisbrey's Bottle Village - History |url=http://www.bottlevillage.com/about/bvhistory.htm |website=www.bottlevillage.com |access-date=2022-05-12}}</ref>。1961年には村はおおむね出来上がっていたが、トレッサは1980年代まで構造物を追加したり、手を加えたりしていた。トレッサは1972年に引っ越したが、その後、村のそばのトレーラーに戻って暮らし、彫刻や花のプランターを付け加え続けた<ref>{{cite web|title=Grandma Prisbrey's Bottle Village|url=http://www.agilitynut.com/h/prisbrey.html|accessdate=February 27, 2012|archive-url=https://web.archive.org/web/20120309235814/http://www.agilitynut.com/h/prisbrey.html|archive-date=March 9, 2012|url-status=dead}}</ref>。
1956年、トレッサはアル・プリスブリーと出会って結婚した。この頃、60歳でボトルヴィレッジの建設を始めた<ref name=":2">{{Cite web |title=Grandma Prisbrey's Bottle Village - History |url=http://www.bottlevillage.com/about/bvhistory.htm |website=www.bottlevillage.com |access-date=2022-05-12}}</ref>。1961年には村はおおむね出来上がっていたが、トレッサは1980年代まで構造物を追加したり、手を加えたりしていた。トレッサは1972年に引っ越したが、その後、村のそばのトレーラーに戻って暮らし、彫刻や花のプランターを付け加え続けた<ref>{{cite web|title=Grandma Prisbrey's Bottle Village|url=http://www.agilitynut.com/h/prisbrey.html|accessdate=February 27, 2012|archive-url=https://web.archive.org/web/20120309235814/http://www.agilitynut.com/h/prisbrey.html|archive-date=March 9, 2012|url-status=dead}}</ref>。
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1982年、体調を崩したトレッサはシミバレーを離れ、[[サンフランシスコ]]にいる娘と義理の息子と共に暮らすようになった<ref name=obit/>。そして1986年7月、この土地はボトルヴィレッジ保全委員会に[[贈与]]された。1988年10月、トレッサは脳卒中の合併症により、[[サンフランシスコ]]の療養病院で死去した<ref name=obit>{{cite news|title=Builder of Bottle Village dies: 'Grandma's' Simi Valley landmark remains|newspaper=The Ventura County Star-Free Press|date=October 7, 1988|page=B7|via=The Museum of Ventura County (clippings file on "Bottle Village")}}</ref>。
1982年、体調を崩したトレッサはシミバレーを離れ、[[サンフランシスコ]]にいる娘と義理の息子と共に暮らすようになった<ref name=obit/>。そして1986年7月、この土地はボトルヴィレッジ保全委員会に[[贈与]]された。1988年10月、トレッサは脳卒中の合併症により、[[サンフランシスコ]]の療養病院で死去した<ref name=obit>{{cite news|title=Builder of Bottle Village dies: 'Grandma's' Simi Valley landmark remains|newspaper=The Ventura County Star-Free Press|date=October 7, 1988|page=B7|via=The Museum of Ventura County (clippings file on "Bottle Village")}}</ref>。


==地震被害==
==地震による被害==
[[ファイル:Grandma Prisbrey's Bottle Village (Plaques).jpg|左|サムネイル|ボトルヴィレッジ入り口のプラーク]]
[[ファイル:Grandma Prisbrey's Bottle Village (Plaques).jpg|左|サムネイル|ボトルヴィレッジ入り口のプラーク]]
が1994年に[[ノースリッジ地震]]で大きな被害を受けたため、ボトルヴィレッジ保存委員会は[[アメリカ合衆国連邦緊急事態管理庁]] (FEMA) の基金を申請して50万ドル程度を受け取った。1997年、FEMA地震の後の村の補修のために45万5千ドルの補助金を出そうとしたが、この補助金は前議員サンディ・ウェブとシミ・ヴァレー選出[[アメリカ合衆国下院]]議員([[共和党 (アメリカ)|共和党]])のエルトン・ギャレグリーが反対して出ないこなった。ギャレグリーはこの補助金を税金の無駄遣いだと述べ<ref name=":0">{{Cite web |title=Simi Valley's Bottle Village is in decay with no fund to restore it |url=http://www.vcstar.com/news/simi-valleys-bottle-village-is-in-decay-with-no-fund-to-restore-it-ep-373395802-352509221.html |website=www.vcstar.com |access-date=2022-07-17 |language=en |author=Anna Bakalis |date=2008-07-25 |publisher=VC Star}}</ref>。さらにFEMA長官のジェイムズ・リー・ウィットは、1984年から一般公開されていないので該当地は連邦災害救援金の受給資格が無いとFEMAが決定したと述べた<ref>{{cite news|last=McKinley|first=Jesse|title=A Village of Bottles Loses Federal Help|url=https://www.nytimes.com/1997/03/20/garden/a-village-of-bottles-loses-federal-help.html|work=The New York Times|date=20 March 1997|access-date=29 February 2012}}</ref>。
この建築物群が1994年に[[ノースリッジ地震]]で大きな被害を受けたため、ボトルヴィレッジ保存委員会は[[アメリカ合衆国連邦緊急事態管理庁]] (FEMA) より50万ドル程度の資金を受け取った。1997年、FEMA地震の後の村の補修のために45万5千ドルの補助金を出そうとしたが、この補助金は前議員サンディ・ウェブと[[シミレー]]選出[[アメリカ合衆国下院]]議員([[共和党 (アメリカ)|共和党]])のエルトン・ギャレグリーが反対して立ち消えとなった。ギャレグリーはこの補助金を税金の無駄遣いだと述べている<ref name=":0">{{Cite web |title=Simi Valley's Bottle Village is in decay with no fund to restore it |url=http://www.vcstar.com/news/simi-valleys-bottle-village-is-in-decay-with-no-fund-to-restore-it-ep-373395802-352509221.html |website=www.vcstar.com |access-date=2022-07-17 |language=en |author=Anna Bakalis |date=2008-07-25 |publisher=VC Star}}</ref>。さらにFEMA長官の{{仮リンク|ジェイムズ・リー・ウィット|en|James Lee Witt}}は、建築物は1984年から一般公開されていないためFEMAは連邦災害救援金の受給資格が無いと判断したと述べた<ref>{{cite news|last=McKinley|first=Jesse|title=A Village of Bottles Loses Federal Help|url=https://www.nytimes.com/1997/03/20/garden/a-village-of-bottles-loses-federal-help.html|work=The New York Times|date=20 March 1997|access-date=29 February 2012}}</ref>。


1994年の[[ノースリッジ地震]]以降、ボトルヴィレッジは支援と資金が必要な状態で放置されていた<ref name=":0" />。芸術家で保存委員長をつとめたこともあるジョアン・ジョンソンは、「れてくボトルヴィレッジは皮肉な逆説です。捨てられたもので作られ、今は捨てられているのですから」と述べている<ref>{{cite news|last=Harvey|first=Steve|title=A treasure trove of trash withers in Simi Valley|url=https://www.nytimes.com/1997/03/20/garden/a-village-of-bottles-loses-federal-help.html|work=Los Angeles Times|date=20 March 1997|access-date=29 February 2012}}</ref>。保存委員会は私的機関からの支援金を募っている<ref>{{cite web|last=Garcia|first=Ross|title=Grandma Prisbrey's Bottle Village|url=http://home.roadrunner.com/~echomatic/bv/history.html|publisher=Preserve Bottle Village Committee|access-date=29 February 2012|url-status=dead|archiveurl=https://web.archive.org/web/20120318030445/http://home.roadrunner.com/~echomatic/bv/history.html|archivedate=18 March 2012}}</ref>。
1994年の[[ノースリッジ地震]]以降、ボトルヴィレッジは支援と資金が必要な状態で放置されていた<ref name=":0" />。芸術家で保存委員長をつとめたこともあるジョアン・ジョンソンは、「れてくボトルヴィレッジは皮肉にもパラドックスを抱えています。捨てられたもので作られ、今は捨てられているのですから」と述べている<ref>{{cite news|last=Harvey|first=Steve|title=A treasure trove of trash withers in Simi Valley|url=https://www.nytimes.com/1997/03/20/garden/a-village-of-bottles-loses-federal-help.html|work=Los Angeles Times|date=20 March 1997|access-date=29 February 2012}}</ref>。保存委員会は私的機関からの支援金を募っている<ref>{{cite web|last=Garcia|first=Ross|title=Grandma Prisbrey's Bottle Village|url=http://home.roadrunner.com/~echomatic/bv/history.html|publisher=Preserve Bottle Village Committee|access-date=29 February 2012|url-status=dead|archiveurl=https://web.archive.org/web/20120318030445/http://home.roadrunner.com/~echomatic/bv/history.html|archivedate=18 March 2012}}</ref>。


== 評価 ==
== 評価 ==
美術史家や[[民俗学者]]は、ボトルヴィレッジにはクリエイターである老婦人トレッサにとって複雑な意味があったと見なしている<ref name=":1">{{cite web |title=National Register of Historic Places Continuation Sheet |url=https://s3.amazonaws.com/NARAprodstorage/lz/electronic-records/rg-079/NPS_CA/96001076.pdf |accessdate=2022-07-18 |page=2 (Additional Comments). |author=National Park Service}}</ref>。[[アメリカ合衆国国立公園局]]の文書によると、ボトルヴィレッジはトレッサが大切にしていた自らのコレクションを保全するという目的があったのはもちろん、家族や友人、人生の中で重要な出来事を記念したいという気持ちや、家族を失ったことを悼む気持ち、訪れた人を楽しませようという気持ち、自らの非常に個人的な考えや熱意、発想の証を残したいという気持ちなどが組み合わされた結果として出てきた作品であると評価されている<ref name=":1" />。1950年代後半から1960年代前半にかけて、アメリカ人の日常生活で大量に排出された廃棄物から作られた珍しい作品でもある<ref name=":3">{{cite web |title=National Register of Historic Places Continuation Sheet |url=https://s3.amazonaws.com/NARAprodstorage/lz/electronic-records/rg-079/NPS_CA/96001076.pdf |accessdate=2022-07-18 |page=n.p. |author=National Park Service}}</ref>。
美術史家や[[民俗学者]]は、ボトルヴィレッジにはクリエイターである老婦人トレッサにとって複雑な意味があったと思っている<ref name=":1">{{cite web |title=National Register of Historic Places Continuation Sheet |url=https://s3.amazonaws.com/NARAprodstorage/lz/electronic-records/rg-079/NPS_CA/96001076.pdf |accessdate=2022-07-18 |page=2 (Additional Comments). |author=National Park Service}}</ref>。[[アメリカ合衆国国立公園局]]の文書によると、ボトルヴィレッジはトレッサが大切にしていた自らのコレクションを保全するという目的があったのはもちろん、家族や友人、人生の中で重要な出来事を記念したいという気持ちや、家族を失ったことを悼む気持ち、訪れた人を楽しませようという気持ち、自らの非常に個人的な考えや熱意、発想の証を残したいという気持ちなどが組み合わされた結果として出てきた作品であると評価されている<ref name=":1" />。1950年代後半から1960年代前半にかけて、アメリカ人の日常生活で大量に排出された廃棄物から作られた珍しい作品でもある<ref name=":3">{{cite web |title=National Register of Historic Places Continuation Sheet |url=https://s3.amazonaws.com/NARAprodstorage/lz/electronic-records/rg-079/NPS_CA/96001076.pdf |accessdate=2022-07-18 |page=n.p. |author=National Park Service}}</ref>。


ボトルヴィレッジは、[[ベンチュラ郡]]、[[シミバレー]]及びカリフォルニア州から歴史的建造物として指定されている(カリフォルニア歴史的建造物第939号)<ref>{{Cite web |title=Grandma Prisbrey's Bottle Village Home |url=http://www.bottlevillage.com/ |website=www.bottlevillage.com |access-date=2022-07-18}}</ref>。また、1996年には[[アメリカ合衆国国家歴史登録財]]に指定された<ref name=":3" />。
ボトルヴィレッジは、[[ベンチュラ郡]]、[[シミバレー]]及びカリフォルニア州から歴史的建造物として指定されている(カリフォルニア歴史的建造物第939号)<ref>{{Cite web |title=Grandma Prisbrey's Bottle Village Home |url=http://www.bottlevillage.com/ |website=www.bottlevillage.com |access-date=2022-07-18}}</ref>。また、1996年には[[アメリカ合衆国国家歴史登録財]]に指定された<ref name=":3" />。

2022年7月18日 (月) 15:03時点における版

プリスブリーおばあちゃんのボトルヴィレッジ
2008年9月、プリスブリーおばあちゃんのボトルヴィレッジ
グランマ・プリスブリーのボトルヴィレッジの位置(カリフォルニア州内)
グランマ・プリスブリーのボトルヴィレッジ
グランマ・プリスブリーのボトルヴィレッジの位置(アメリカ合衆国内)
グランマ・プリスブリーのボトルヴィレッジ
所在地カルフォルニア州シミバレー、コクラン通り4595
座標北緯34度16分45.24秒 西経118度42分16.75秒 / 北緯34.2792333度 西経118.7046528度 / 34.2792333; -118.7046528座標: 北緯34度16分45.24秒 西経118度42分16.75秒 / 北緯34.2792333度 西経118.7046528度 / 34.2792333; -118.7046528
建築家トレッサ・プリスブリー
ウェブサイトwww.bottlevillage.com
NRHP登録番号96001076
CHISL登録番号939[1]
NRHP指定日1996年10月25日[2]

プリスブリーおばあちゃんのボトルヴィレッジ英語: Grandma Prisbrey's Bottle Village)はカリフォルニア州シミバレーにある、ボトル(瓶)などの廃棄物を利用した環境芸術である。単にボトルヴィレッジと言われることもある。1950年代から1970年代頃にかけて、「グランマ」ことトレッサ・プリスブリー(1896-1988)によって製作された。トレッサ・プリスブリーは地元のごみ処理場から出た廃棄物やリサイクル品を利用して、聖堂などの建物やそれをつなぐ歩道、さまざまな立体造形からなる「村」をつくりあげた。この建築物群は、アメリカ合衆国国家歴史登録財に指定されている。

建造物群

この建築物群は、0.13ヘクタールほどの場所にトレッサ・プリスブリーが、捨てられた(ボトル)をはじめとする様々な不要品などを用いて一人で創り上げたもので、聖堂や願掛けの井戸、歩道、噴水、さまざまな家などからなっている[3]。ハート、ダイヤモンド、スペード形の飛石は、トレッサがネバダ州ラスベガスを訪れた時のことを象徴している。トレッサはセメントで形を作り、その中にハサミなどを手当たり次第に再利用して詰め込んだ。ドールハウスはトレッサが所蔵していた600体もの人形のコレクションを収めるために建てられた。トレッサは毎日この家に行き、人形の着せ替えをしていたという[4]

老朽化により1984年にはツアーによる一般向け公開が終了した[5]。さらに1994年のノースリッジ地震で大きな被害をうけたものの、修復に必要な資金が集まらず、以降も放置された状態にある[5]

トレッサ・プリスブリー

トレッサ・プリスブリー・ルエラ・シェーファーは1896年にミネソタ州イーストンで生まれた。トレッサは12歳まで学校に通い、ノースダコタ州で主に政治を勉強した。15歳の時にはトレッサは姉の前夫で37歳年上のセオドア・グリノルズと結婚した。セオドアとの結婚生活は14年しか続かなかったが、その間に7人の子供をもうけた。72歳でセオドアが亡くなった後、トレッサは7人の子供たちとシアトルに移住し、無職の男性と結婚したが、その結婚生活はとても短いうちに終わった。トレッサの7人の子供のうち、男4人、女2人の計6人はトレッサが存命中に亡くなってしまった[6]

1956年、トレッサはアル・プリスブリーと出会って結婚した。この頃、60歳でボトルヴィレッジの建設を始めた[3]。1961年には村はおおむね出来上がっていたが、トレッサは1980年代まで構造物を追加したり、手を加えたりしていた。トレッサは1972年に引っ越したが、その後、村のそばのトレーラーに戻って暮らし、彫刻や花のプランターを付け加え続けた[7]

1982年、体調を崩したトレッサはシミバレーを離れ、サンフランシスコにいる娘と義理の息子と共に暮らすようになった[8]。そして1986年7月、この土地はボトルヴィレッジ保全委員会に贈与された。1988年10月、トレッサは脳卒中の合併症により、サンフランシスコの療養病院で死去した[8]

地震による被害

ボトルヴィレッジ入り口のプラーク

この建築物群が1994年にノースリッジ地震で大きな被害を受けたため、ボトルヴィレッジ保存委員会はアメリカ合衆国連邦緊急事態管理庁 (FEMA) より50万ドル程度の資金を受け取った。1997年、FEMAは地震の後の村の補修のために45万5千ドルの補助金を出そうとしたが、この補助金は前議員サンディ・ウェブとシミバレー選出のアメリカ合衆国下院議員(共和党)のエルトン・ギャレグリーが反対して立ち消えとなった。ギャレグリーはこの補助金を税金の無駄遣いだと述べている[5]。さらにFEMA長官のジェイムズ・リー・ウィット英語版は、建築物は1984年から一般公開されていないため、FEMAは連邦災害救援金の受給資格が無いと判断したと述べた[9]

1994年のノースリッジ地震以降、ボトルヴィレッジは支援と資金が必要な状態で放置されていた[5]。芸術家で保存委員長をつとめたこともあるジョアン・ジョンソンは、「崩れてゆくボトルヴィレッジは皮肉にもパラドックスを抱えています。捨てられたもので作られ、今は捨てられているのですから」と述べている[10]。保存委員会は私的機関からの支援金を募っている[11]

評価

美術史家や民俗学者は、ボトルヴィレッジにはクリエイターである老婦人トレッサにとって複雑な意味があったと思っている[12]アメリカ合衆国国立公園局の文書によると、ボトルヴィレッジはトレッサが大切にしていた自らのコレクションを保全するという目的があったのはもちろん、家族や友人、人生の中で重要な出来事を記念したいという気持ちや、家族を失ったことを悼む気持ち、訪れた人を楽しませようという気持ち、自らの非常に個人的な考えや熱意、発想の証を残したいという気持ちなどが組み合わされた結果として出てきた作品であると評価されている[12]。1950年代後半から1960年代前半にかけて、アメリカ人の日常生活で大量に排出された廃棄物から作られた珍しい作品でもある[13]

ボトルヴィレッジは、ベンチュラ郡シミバレー及びカリフォルニア州から歴史的建造物として指定されている(カリフォルニア歴史的建造物第939号)[14]。また、1996年にはアメリカ合衆国国家歴史登録財に指定された[13]

影響

ボトルを使ったオブジェ

ボトルヴィレッジからヒントを得て作られた、メリッサ・エスクリッジ・スレイメイカーによる32ページの子ども向けの本Bottle Houses: The Creative World of Grandma Prisbreyが2004年に刊行された[15]

脚注

  1. ^ California Historical Landmark: Ventura County”. Office of Historic Preservation. California State Parks. 2012年10月18日閲覧。
  2. ^ National Park Service (15 April 2008). "National Register Information System". National Register of Historic Places. National Park Service. {{cite web}}: Cite webテンプレートでは|access-date=引数が必須です。 (説明)
  3. ^ a b Grandma Prisbrey's Bottle Village - History”. www.bottlevillage.com. 2022年5月12日閲覧。
  4. ^ Light & Saraf. “Grandma's Bottle Village: The Art of Tressa Prisbrey”. Film. American Visionary Art Museum. 2012年2月25日閲覧。
  5. ^ a b c d Anna Bakalis (2008年7月25日). “Simi Valley's Bottle Village is in decay with no fund to restore it” (英語). www.vcstar.com. VC Star. 2022年7月17日閲覧。
  6. ^ Cooper, Arnie (2008年). “Grandma Prisbrey Built a Village Made of Bottles”. Wall Street Journal. https://www.wsj.com/articles/SB122454634669052175 2012年2月25日閲覧。 
  7. ^ Grandma Prisbrey's Bottle Village”. 2012年3月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年2月27日閲覧。
  8. ^ a b “Builder of Bottle Village dies: 'Grandma's' Simi Valley landmark remains”. The Ventura County Star-Free Press: p. B7. (1988年10月7日) 
  9. ^ McKinley, Jesse (1997年3月20日). “A Village of Bottles Loses Federal Help”. The New York Times. https://www.nytimes.com/1997/03/20/garden/a-village-of-bottles-loses-federal-help.html 2012年2月29日閲覧。 
  10. ^ Harvey, Steve (1997年3月20日). “A treasure trove of trash withers in Simi Valley”. Los Angeles Times. https://www.nytimes.com/1997/03/20/garden/a-village-of-bottles-loses-federal-help.html 2012年2月29日閲覧。 
  11. ^ Garcia, Ross. “Grandma Prisbrey's Bottle Village”. Preserve Bottle Village Committee. 2012年3月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年2月29日閲覧。
  12. ^ a b National Park Service. “National Register of Historic Places Continuation Sheet”. p. 2 (Additional Comments).. 2022年7月18日閲覧。
  13. ^ a b National Park Service. “National Register of Historic Places Continuation Sheet”. p. n.p.. 2022年7月18日閲覧。
  14. ^ Grandma Prisbrey's Bottle Village Home”. www.bottlevillage.com. 2022年7月18日閲覧。
  15. ^ Bottle Houses: The Creative World of Grandma Prisbrey. Henry Holt & Co. (2004). ISBN 978-0-8050-7131-3. https://archive.org/details/bottlehouses00meli 

関連文献

  • Rosen, Seymour. 1979. "In Celebration of Ourselves." California Living Books in conjunction with San Francisco Museum of Modern Art. 176 pages. ISBN 0893950084 (ISBN 9780893950088)
  • Wojcik, Daniel. 2017. Outsider Art: Visionary Worlds and Trauma. Jackson: University Press of Mississippi. 304 pages. ISBN 9781496808066

外部リンク