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「キイロタマホコリカビ」の版間の差分

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}}
'''キイロタマホコリカビ'''({{snamei|Dictyostelium discoideum}})は[[細胞性粘菌]]の種である。[[モデル生物]]として広く研究れている。
'''キイロタマホコリカビ'''([[学名]]: {{snamei||Dictyostelium discoideum}})は[[アメーボゾア]]、[[タマホコリカビ類]]に属する[[細胞性粘菌]]の1種である。土壌中に生育する[[栄養体]] (通常時の体) は[[単細胞]]の[[アメーバ|アメーバ細胞]]であり、[[細菌]]を捕食し、二分裂して増殖する。飢餓状態になるとアメーバ細胞は集合して多細胞体を形成し、移動した後に[[子実体]] (右図) となって[[胞子]]を形成・散布する。このように[[生活環]]において細胞が協調してさまざまな形をとること、培養や[[分子生物学]]的解析が容易であることから、[[モデル生物]]として広く研究に用いられている。


== 生活環 ==
==特徴==
===生活環===
食糧(通常は[[細菌]])が得られる時にはそれぞれ[[アメーバ]]状になり個体で捕食を行う。しかし食糧がない時には偽変形体、あるいはナメクジ状の移動体と呼ばれる多細胞集合体を形成する。
キイロタマホコリカビは、[[単細胞]]の時期と[[多細胞]]の時期からなる[[生活環]]をもつ<ref name="Baldauf2017" /><ref name="Olive1975III" /><ref name="漆原2007" /> (下図1)。通常時は単細胞の[[アメーバ|アメーバ細胞]]として過ごし、二分裂して増殖する。[[細菌]]などを捕食しているが (→[[#増殖期]])、飢餓状態になると細胞が集合して多細胞体 (偽変形体) になる (→[[#集合期]])。偽変形体は匍匐して移動し (→[[#移動期]])、柄と胞子塊からなる[[子実体]]を形成 (→[[#形態形成期]])、[[胞子]]からアメーバ細胞が発芽する。また[[有性生殖]]ではアメーバ細胞が融合、マクロシストを形成する<ref name="Baldauf2017" /><ref name="Olive1975III" /> (下図1; →[[#有性生殖]])。
[[ファイル:Dd-life-cycleH.jpg|500px|thumb|center|'''1. キイロタマホコリカビの生活環''':[[栄養体]]は[[単細胞]]のアメーバ細胞であり (中央)、二分裂によって増殖する (左上)。飢餓状態になると細胞が集合し、移動体 (slug; 下) となり、[[子実体]] (下左) を形成、[[胞子]] (sproes) を散布、発芽してアメーバ細胞に戻る。[[有性生殖]]では2個のアメーバ細胞が融合し (上)、未融合細胞を誘引して捕食、マクロシスト (右) になり、休眠後に[[減数分裂]]を経てアメーバ細胞を放出する。]]
====増殖期====
{{multiple image
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| align = right
| caption_align = left
| image1 = Contractile vacuole in Dictyostelium.jpg
| caption1 = '''2a'''. キイロタマホコリカビのアメーバ細胞 (明瞭な収縮胞をもつ)
| image2 = Deconvolution-of-the-Cellular-Force-Generating-Subsystems-that-Govern-Cytokinesis-Furrow-Ingression-pcbi.1002467.s008.ogv
| caption2 = '''2b'''. キイロタマホコリカビのアメーバ細胞の分裂
}}
キイロタマホコリカビの[[栄養体]] (通常時の体) は、直径 8–20 µm ほどの[[単細胞]]の'''アメーバ細胞''' (粘菌アメーバ myxamoeba, [[複数形|''pl.'']] myxamoebae) である<ref name="Baldauf2017">{{cite book|author=Baldauf, S. L. & Strassmann, J. E.|year=2017|chapter=Dictyostelia|editor=Archibald, J. M., Simpson, A. G. B. & Slamovits, C. H.|title=Handbook of the Protists|publisher=Springer|isbn=978-3319281476|doi=10.1007/978-3-319-28149-0_14|pages=1433-1477}}</ref><ref name="Raper1935" /> (右図2)。アメーバ細胞は比較的幅広い[[仮足]]と糸状の副仮足を生じ、ゆっくりとスムーズに運動する。アメーバ細胞は[[細菌]]が分泌する[[葉酸]]に対する[[走化性]]を示し、これを捕食する<ref name="上村2019">{{cite journal|author=上村陽一郎|year=2019|title=細胞性粘菌リソースの研究への利用|journal=植物科学最前線|volume=10|issue=|pages=132–142|url=https://bsj.or.jp/jpn/general/bsj-review/BSJ-Review10C_132-142.pdf}}</ref>。細胞は1個の[[細胞核|核]]をもち、数個の[[核小体]]が核膜に沿って存在する<ref name="Olive1975III">{{cite book|author=Olive, L.S. & Stoianovitch, С.|year=1975|chapter=Dictyostelia. III Life cycle|editor=|title=The Mycetozoans|publisher=Academic Press|isbn=978-0-12-526250-7|pages=45–51}}</ref>。また細胞は1個の[[収縮胞]]をもち (図2a)、[[食胞]]を形成する<ref name="Olive1975III" />。アメーバ細胞は二分裂によって増殖し<ref name="Olive1975III" /> (図1, 2b)、最適条件では8-10時間に1回分裂する<ref name="Olive1975VI">{{cite book|author=Olive, L.S. & Stoianovitch, С.|year=1975|chapter=Dictyostelia. VI Details of life cycle|editor=|title=The Mycetozoans|publisher=Academic Press|isbn=978-0-12-526250-7|pages=67–84}}</ref>。他の[[タマホコリカビ類]]では、不適条件下でアメーバ細胞が細胞壁を形成してミクロシストとなることがあるが、キイロタマホコリカビではミクロシスト形成は知られていない<ref name="Romeralo2013">{{cite journal|author=Romeralo, M., Skiba, A., Gonzalez-Voyer, A., Schilde, C., Lawal, H., Kedziora, S., ... & Schaap, P.|year=2013|title=Analysis of phenotypic evolution in Dictyostelia highlights developmental plasticity as a likely consequence of colonial multicellularity|journal=Proceedings of the Royal Society B: Biological Sciences|volume=280|issue=1764|pages=20130976|doi=10.1098/rspb.2013.0976}}</ref>。

====集合期====
[[ファイル:The-C-Terminal-SynMuvDdDUF926-Domain-Regulates-the-Function-of-the-N-Terminal-Domain-of-DdNKAP-pone.0168617.s013.ogv|thumb|right|200px|'''3a'''. キイロタマホコリカビの集合]]
[[ファイル:Dictyostelium Aggregation.JPG|thumb|right|200px|'''3b'''. キイロタマホコリカビの集合体 (ストリーム)]]
アメーバ細胞はPSF (prestarvation factor) とよばれる[[糖タンパク質]]を常に分泌することによって、同種の細胞と餌である細菌の量比を監視している<ref name="Schaap2011" />。この比が一定量を超えた場合 (細菌の減少など)、アメーバ細胞は増殖を止め、'''集合''' (aggregation) に必要な遺伝子発現を開始する<ref name="Baldauf2017" /><ref name="Schaap2011" />。

[[細胞性粘菌]]において集合のためのシグナル物質はアクラシンと総称されるが、キイロタマホコリカビのアクラシンは[[環状アデノシン一リン酸|cAMP]]である<ref name="Olive1975III" /><ref name="上村2019" />。cAMPを受け取ったアメーバ細胞は、cAMPに対する[[走化性]]を示すと共に、自身でもcAMPを合成・分泌する<ref name="上村2019" />。このようにして情報は次々と伝搬していき、約10万個の細胞が集合する<ref name="上村2019" /> (右図3a)。cAMPに対する走化性は極めて鋭敏であり、わずか1–2%の濃度勾配を感知できる<ref name="上村2019" />。cAMPは細胞膜上の受容体であるcAR (cAMP receptor) に結合し、[[Gタンパク質]]などを介して[[PI3キナーゼ]] (phosphoinositide 3−kinase) や[[プロテインキナーゼ]]B (protein kinase B) を活性化し、細胞骨格系タンパク質 ([[アクチン]]など) にシグナルを伝え、cAMP源への細胞運動を行うと考えられている<ref name="Schaap2011" /><ref name="Loomis2015">{{cite journal|author=Loomis, W. F.|year=2015|title=Genetic control of morphogenesis in ''Dictyostelium''|journal=Developmental Biology|volume=402|issue=2|pages=146-161|doi=10.1016/j.ydbio.2015.03.016}}</ref>。また同時に[[アデニル酸シクラーゼ]]も活性化され、cAMPを合成し、細胞外に分泌する<ref name="Schaap2011" /><ref name="Loomis2015" />。また[[ホスホジエステラーゼ]] (PDE) も分泌され、cAMPを分解する。このcAMPの分泌と分解が細胞集団において同調的・周期的 (約6分間) に行われ、cAMPの波 (cAMPパルス) が生じる<ref name="Baldauf2017" /><ref name="Schaap2011" /><ref name="Loomis2015" />。これによる集合パターンは[[ベロウソフ・ジャボチンスキー反応]]に一致する[[非線形現象]]であることが知られている<ref name="木本2016">{{cite journal|author=木本 早紀, 毛利 蔵人 & 長野 正道|year=2016|title=細胞性粘菌におけるcAMP受容体のノイズ処理|journal=数理解析研究所講究録|volume=1989|issue=|pages=141-146|doi=|url=https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/224563/1/1989-18.pdf}}</ref>。

集合中のアメーバ細胞は細長くなり、その前後縁にはCsA (contact site A) タンパク質が、側面にはDd-Cad1タンパク質が局在している<ref name="Baldauf2017" /><ref name="上村2019" />。CsAタンパク質やDd-Cad1タンパク質はともに細胞間接着分子となる[[糖タンパク質]]であり、これによって連なったアメーバ細胞群はストリーム (stream) とよばれる放射状の構造を形成する<ref name="上村2019" /> (右図3a, b)。

ストリーム形成を介して形成された細胞塊 (多細胞体) は偽変形体 (pseudoplasmodium) ともよばれるが<ref name="Olive1975III" />、[[子実体]]形成に至るまで様々な形態変化を示し、キイロタマホコリカビではそれぞれの時期に名称が付けられている。集合した当初の細胞塊は、'''マウンド''' (mound) とよばれる<ref name="上村2019" /> (上図1)。マウンドは、細胞が分泌した[[糖タンパク質]]や[[セルロース]]からなる粘液鞘 (slime sheath) で覆われる<ref name="Olive1975III" /><ref name="上村2019" />。マウンドは、細胞間の結合がゆるい状態 (ルースマウンド loose mound) から、しっかりと結合した状態 (タイトマウンド tight mound) へ変化する<ref name="上村2019" />。種特異的な多型細胞接着タンパク質、特にtgrB1とtgrC1を発現し、細胞接着に関わる<ref name="Baldauf2017" />。この間に、予定柄細胞 (prestalk cell) と予定胞子細胞 (prespore cell) への細胞分化が始まる<ref name="上村2019" />。予定柄細胞は、マウンドの頂上部で乳頭突起 (tip) を形成する (tipped mound)<ref name="上村2019" />。突起は[[環状アデノシン一リン酸|cAMP]]のパルス生成を続け、これがマウンド内の細胞分化を制御する<ref name="Baldauf2017" />。

====移動体期====
[[ファイル:Dictyostelium Late Aggregation 1.JPG|thumb|right|200px|'''4a'''. キイロタマホコリカビのマウンドから移動体への以降]]
[[ファイル:Dictyostelium Pseudoplasmodium.JPG|thumb|right|200px|'''4b'''. キイロタマホコリカビの移動体]]
予定柄細胞からなる突起、さらに全体が細長く伸長し (finger ともよばれる)、やがて基質上に横倒しになる (上図1、右図4a、下図5a)。この細長い構造は'''移動体''' (ナメクジ体 slug, grex) とよばれ、粘液質を残しながら基質上を匍匐・移動する<ref name="Olive1975III" /><ref name="上村2019" /> (右図4b)。移動体の長さは 0.4–2.0 mm、直径は 0.07–0.25 mm<ref name="Raper1935" />。移動体は明瞭な前後軸をもち、先端側に予定柄細胞、それ以外が予定胞子細胞で占められている<ref name="上村2019" />。予定柄細胞と予定胞子細胞の細胞数の比はおよそ1:4で決まっており、この比の調節には[[環状アデノシン一リン酸|cAMP]]、[[アンモニア]]、DIF-1 (differentiation-inducing factor 1) などが関わっている<ref name="上村2019" />。また移動体を分割して予定柄細胞のみ、または予定胞子細胞のみからなる細胞塊をつくっても、細胞は脱分化・再分化して (小さいながらも) 通常と同じ[[子実体]]を形成する<ref name="漆原2007">{{cite journal|author=漆原 秀子|year=2007|title=細胞性粘菌のゲノムでみる多細胞化の舞台裏|journal=生命誌ジャーナル|volume=52|issue=|pages=|url=https://www.brh.co.jp/publication/journal/052/research_11_2.html}}</ref>。[[タマホコリカビ類]]では移動体が既に柄を形成している例も多いが、キイロタマホコリカビの移動体では柄は形成されていない<ref name="Olive1975V" />。

移動体は外的な刺激がなくても自律的に運動するが、光や温度、湿度、溶質濃度に対する[[走性]]を示す<ref name="Baldauf2017" /><ref name="上村2019" />。[[走光性]]に関しては、青色光 (ピーク波長は 420 nm、440 nm) や緑色光 (ピーク波長は 560 nm) に強く反応する<ref name="上村2019" />。移動体は側面から光を受けると、レンズ効果によって入光側の反対側で集光し、これが走光性を引き起こすと考えられている<ref name="上村2019" />。移動体の走温性は極めて鋭敏であり、わずか 0.05℃/cm の差を検出する<ref name="上村2019" />。これらのシグナル検出機構の詳細は明らかではない (2019年現在)<ref name="上村2019" />。移動体の運動は、個々の細胞の運動が統合されたらせん運動によって起こり、この運動は先端部において続く[[環状アデノシン一リン酸|cAMP]]のパルス生成によって制御される<ref name="Baldauf2017" />。このような走性によって、移動体は[[子実体]]形成に適した場所に移動する。

====形態形成期====
停止した移動体は、メキシカンハット (“Mexican hat” stage) とよばれる形に変形する<ref name="Baldauf2017" /> (上図1)。基質に接している底面の細胞は、[[セルロース]]性の細胞壁を形成し、[[液胞]]化して死細胞になり basal disk (直径 150−400 µm<ref name="Raper1935" />) を形成する<ref name="Baldauf2017" /><ref name="Olive1975III" />。中央の突出部は予定柄細胞からなり、それを囲むようにセルロースを主成分とする管が形成され、その中で予定柄細胞も同様に死細胞である柄細胞になる<ref name="Baldauf2017" /><ref name="上村2019" /><ref name="Olive1975III" />。柄は下方に伸長し、柄が basal disk に達すると、上方に残されていた予定柄細胞が柄の上に積み重なって柄が上方に伸長する<ref name="上村2019" /> (下図5a)。柄の先端は棍棒状になる<ref name="細野2013">{{cite journal|author=細野 春宏|year=2013|title=生物教育のための細胞性粘菌の分類の実践|journal=生物教育|volume=53|issue=3|pages=105-114|doi=10.24718/jjbe.53.3_105}}</ref>。これに伴って予定胞子細胞も上昇し、個々の細胞がセルロース性の細胞壁で囲まれて[[胞子]]になる<ref name="上村2019" />。その結果、最終的に柄の先端に粘液質で囲まれた胞子塊 (sorus, [[複数形|''pl.'']] sori) がつくられ、また胞子塊の先端側に upper cup、基部側に lower cup が形成、'''[[子実体]]''' (fruiting body; 累積子実体, ソロカルプ sorocarp) が完成する<ref name="Baldauf2017" /><ref name="Olive1975III" /><ref name="Yamada2010">{{cite journal|author=Yamada, Y., Kay, R. R., Bloomfield, G., Ross, S., Ivens, A. & Williams, J. G.|year=2010|title=A new ''Dictyostelium'' prestalk cell sub-type|journal=Developmental Biology|volume=339|issue=2|pages=390-397|doi=10.1016/j.ydbio.2009.12.045}}</ref> (下図5)。胞子塊は球形で灰白色から淡黄色、直径はふつう 125–300 µm<ref name="Raper1935" />。柄は先細で直径 5–80 µm、長さ 1.5–3 mm<ref name="Raper1935" />。

{{multiple image
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| image1 = D discoideum.jpg
| caption1 = '''5a'''. キイロタマホコリカビの[[子実体]]形成過程
| image2 = Dictyostelium_discoideum_fb_6.jpg
| caption2 = '''5b'''. キイロタマホコリカビの子実体形成
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| caption3 = '''5c'''. キイロタマホコリカビの子実体形成
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| caption4 = '''5d'''. キイロタマホコリカビの子実体
}}


[[胞子]]は風散布ではなく、おそらく小動物に付着して胞子塊として散布される<ref name="Baldauf2017" />。胞子は長楕円形、2.5–3.5 x 6–9 µm<ref name="Raper1935" /><ref name="Olive1975V">{{cite book|author=Olive, L.S. & Stoianovitch, С.|year=1975|chapter=Dictyostelia. V. Key to species and descriptions|editor=|title=The Mycetozoans|publisher=Academic Press|isbn=978-0-12-526250-7|page=55}}</ref><ref name="細野2013" />。胞子塊中にあるときは高浸透圧環境であり、胞子の発芽は抑制されている<ref name="上村2019" />。またディスカデニン (discadenine) は胞子内の[[プロテインキナーゼA]] (PKA) 活性を高く維持するため、これも胞子発芽を抑制する<ref name="上村2019" />。このような発芽抑制がない好適な環境で胞子細胞壁は縦裂し、アメーバ細胞を放出する<ref name="Baldauf2017" />。最適な条件下では、胞子が発芽して[[子実体]]形成を経て次の胞子が形成されるまでに72時間しかかからない<ref name="Baldauf2017" />。
移動体には前後の区別があり、光や温度変化に反応し、移動することもできる。


====有性生殖====
適当な条件下では成熟した移動体は[[子実体]]を作り、柄に支えられた1個から複数個の[[胞子]]塊を持つ。これらの胞子は抵抗性の[[細胞壁]]に守られた非活性型の細胞で、食糧が供給されると再びアメーバ状になる。''{{sname||Acytostelium}}'' 属では子実体は[[セルロース]]でできた柄で支えられているのに対して、タマホコリカビ属では柄は細胞からできている。元はアメーバだった細胞で大部分ができていることもある。少数の例外はあるが、これらの細胞は柄の形成中に死滅し、スラッグの部分と子実体の部分は明確に細胞間連絡を行っている。
[[ファイル:The sexual cycle of D. discoideum.tif|300px|thumb|right|'''6'''. キイロタマホコリカビの有性生殖: 細胞内の赤と青は対応する交配型のゲノムを示す。配偶子合体によって生じた接合子 (上) は紫色で示している。接合子は細胞を誘引して捕食し (右上〜下)、マクロシストになる。マクロシストは減数分裂を経て発芽する (左下)。]]
キイロタマホコリカビの[[有性生殖]]では、アメーバ細胞が融合して'''マクロシスト''' (macrocyst) を形成する<ref name="Baldauf2017" /> (右図6)。キイロタマホコリカビの交配型は、単一の遺伝子座で決定される3型 (type-I, II, III) がある<ref name="Baldauf2017" /><ref name="Bloomfield2010">{{cite journal|author=Bloomfield, G., Skelton, J., Ivens, A., Tanaka, Y. & Kay, R. R.|year=2010|title=Sex determination in the social amoeba ''Dictyostelium discoideum''|journal=Science|volume=330|issue=6010|pages=1533-1536|doi=10.1126/science.1197423}}</ref>。対応する交配型のアメーバ細胞が融合すると2[[細胞核|核]]の細胞が形成され、やがてこの2核は融合し、接合子である巨大細胞 (giant cell) が形成される<ref name="Baldauf2017" />。巨大細胞は[[環状アデノシン一リン酸|cAMP]]を分泌し、未融合細胞を誘引する。この反応は[[子実体]]形成時の細胞集合 ([[#集合期|上記参照]]) に類似しているが、より小規模である<ref name="Baldauf2017" />。やがて巨大細胞と集合した未融合細胞は共通の外被で覆われ、巨大細胞は未融合細胞を捕食していき、得られた物質を利用してさらに外被を発達させて5層の細胞壁を形成する<ref name="Baldauf2017" />。このようにして形成されたマクロシストは、耐久細胞となり休眠する。


マクロシストは発芽前に[[減数分裂]]を行い、その結果生じた[[細胞核|核]]の1個のみが残る<ref name="Baldauf2017" />。さらに発芽時に連続した[[体細胞分裂]]を行い、多数のアメーバ細胞を形成、これが放出される<ref name="Baldauf2017" /> (右図6)。
一般に、アメーバの集合は流れを一点に集めるように行われる。アメーバは糸状の[[仮足]]を使って動き、別のアメーバが出した化学物質に引き寄せられる。タマホコリカビ属では、集合は[[環状アデノシン一リン酸|cAMP]]の信号で行われるが、別の種では他の化学物質を使っている。''{{sname|Dictyostelium purpureum}}'' 種では、集合は距離的な近さではなく遺伝的な近さによって行われる。


==利用==
===裏切り===
[[ファイル:Social cycle of D. discoideum.tif|300px|thumb|right|'''7a'''. 裏切り者 (赤) の多くは[[胞子]]になり、柄の形成にはほとんど寄与しない。]]
タマホコリカビ属、特にキイロタマホコリカビは[[分子生物学]]及び[[遺伝学]]、[[発生学]]などの[[モデル生物]]として扱われ、細胞間連絡、[[分化]]、[[アポトーシス]]の例として研究されている。
[[ファイル:Costs of chimerism in D. discoideum.tif|300px|thumb|right|'''7b'''. 裏切り者 (赤) を含む遺伝的にキメラな移動体 (下) は移動距離が短く、柄が短いこともある。]]
キイロタマホコリカビの[[子実体]]形成において、[[胞子]]となった細胞は散布されて発芽し、次世代につながることが出来る。一方で柄となった細胞はその場で死ぬ。柄を形成することは胞子の散布を効率的にするため、細胞が柄となる行動は[[利他的行動]]とも見なされ、そのためキイロタマホコリカビを含むタマホコリカビ類は'''社会性アメーバ''' (social amoeba) とよばれる<ref name="Schnittler2012D">{{cite book|author=Schnittler, M., Novozhilov, Y. K., Romeralo, M., Brown, M. & Spiegel, F. W.|year=2012|chapter=Dictyostelia|editor=Frey, W. (eds.)|title=Syllabus of Plant Families. A. Engler's Syllabus der Pflanzenfamilien Part 1/1|publisher=Borntraeger|isbn=978-3-443-01061-4|pages=53–57}}</ref><ref name="Iwasa2013細胞性粘菌">{{cite book|author=巌佐 庸, 倉谷 滋, 斎藤 成也 & 塚谷 裕一 (編)|year=2013|chapter=細胞性粘菌|editor=|title=岩波 生物学辞典 第5版|publisher=岩波書店|isbn=978-4000803144|page=527}}</ref>。


このような細胞どうしの関係においては、集合の中心にあった細胞や、より"強い"細胞 (分裂前の大型の細胞、栄養価の高い餌を食べていた細胞) が[[胞子]]になりやすい<ref name="Baldauf2017" />。また異なる株が混合して単一の子実体を形成する際には、特定の株が胞子になりやすい (柄になりにくい) 性質を示すことがある<ref name="Baldauf2017" /> (図7a)。このような性質は"裏切り" (cheating) とよばれ、株自身の遺伝的な性質と、株間の関係によって生じることが知られている<ref name="Baldauf2017" /><ref name="阿部2012">{{cite book|author=巌佐 庸|year=2012|chapter=「社会性アメーバ」について:進化生態学的視点からみた細胞性粘菌|editor=阿部 知顕 & 前田 靖男 (編)|title=細胞性粘菌 : 研究の新展開 : モデル生物・創薬資源・バイオ|publisher=アイピーシー|isbn=978-4-901493-12-3|page=465}}</ref>。裏切りには利点と不利な点があり、裏切り者は胞子になれる利点があるが、裏切り者を含む遺伝的にキメラな移動体は、短距離しか移動できない<ref name="Baldauf2017" /> (図7b)。また絶対的な裏切り者 (柄細胞にはならない) の株は、自身のみでは子実体を形成できない (絶対的社会寄生者 obligate social parasites)。
キイロタマホコリカビの研究データの多くはオンラインサイト{{lang|en|DictyBase}}で入手できる。


裏切りとそれに対する防御は、キイロタマホコリカビの進化における重要な要素であると考えられている。実験室で30世代を経ると、変異によって裏切り者の集団がいくつも生じる<ref name="Baldauf2017" />。1遺伝子のノックアウト実験では、100個以上の遺伝子において、ノックアウトすると裏切り者となることが示されている (絶対的社会寄生者を含む)<ref name="Baldauf2017" />。一方でこのような裏切り者とともに培養してきた集団は、裏切り者に対して耐性を示し、抵抗性が進化することを示している<ref name="Baldauf2017" />。例えばキイロタマホコリカビのアメーバ細胞は、細胞接着タンパク質であるtgrB1やtgrC1産物によって相手が遺伝的に同一か否かを判断し、細胞集合時に遺伝的に異なる個体を排除する傾向がある。ただしこのような選択の強さは種によって異なり、キイロタマホコリカビにおける選択は、ムラサキタマホコリカビなどにくらべて弱いことが知られている<ref name="Baldauf2017" />。
===使われた理由===
この生物がモデル生物として非常に重視されたのは、主として[[分化]]の機構を調べる材料としてである。分化の機構は[[発生生物学]]における中心的な課題であり、[[生物学]]全体から見ても重要な問題であるが、[[多細胞生物]]におけるそれは複雑で扱いにくい。それに対して、この生物では集合した細胞群は胞子細胞と柄の細胞に分化する。つまり分化の結果がたった2通りしかない。しかも、その分化は集合 - 移動から子実体形成に至る時間の中で起きる事が確実なのである。言い換えれば集合し、移動体となり、そして子実体になり始めるまでの間に分化の開始から終了までの起きる。その上に[[微生物]]であるから培養さえすればいつでも実験が可能で、その点でも扱いやすい。それも含め、この現象を絞り込むのにこれ以上に好適な材料はそうはない、という判断である<ref>太田 (1970), pp. 152-153, pp. 158-161.</ref>。


===原始的な農業===
ただし、結果として、これらの研究は大きな成果を生み出したとは言い難く、次第にその研究熱は冷めていった。
キイロタマホコリカビの一部の株 (全てではない) はファーマー (farmer, "農家") とよばれ、[[胞子]]塊中に[[細菌]]を保持していることが知られている<ref name="Baldauf2017" /><ref name="Brock2011">{{cite journal|author=Brock, D. A., Douglas, T. E., Queller, D. C. & Strassmann, J. E.|year=2011|title=Primitive agriculture in a social amoeba|journal=Nature|volume=469|issue=7330|pages=393-396|doi=10.1038/nature09668}}</ref><ref name="DiSalvo2015">{{cite journal|author=DiSalvo, S., Haselkorn, T. S., Bashir, U., Jimenez, D., Brock, D. A., Queller, D. C., & Strassmann, J. E.|year=2015|title=''Burkholderia'' bacteria infectiously induce the proto-farming symbiosis of Dictyostelium amoebae and food bacteria|journal=Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America|volume=112|issue=36|pages=E5029-E5037|doi=10.1073/pnas.1511878112}}</ref>。さまざまな細菌が共生しているが、特に[[バークホルデリア属]] (プロテオバクテリア門) の特定の種が含まれている。これらの細菌は胞子散布先で放出されて増殖し、胞子から発芽したアメーバ細胞の餌となると考えられている。この現象は、「原始的な農業」ともよばれる<ref name="上村2019" />。


このような[[バークホルデリア属]]の一部は、キイロタマホコリカビの餌となることはなく、ファーマーには無害だが非ファーマーには毒となる物質を生成することが知られている<ref name="Baldauf2017" /><ref name="DiSalvo2015" />。このことは、ファーマーに競争者の排除という利益を与えていると考えられている。またこのようなバークホルデリア属の細菌とキイロタマホコリカビは、[[共進化]]していることが示唆されている<ref name="Baldauf2017" />。
==タマホコリカビ属の集合の機構==
アメーバの集合のメカニズムは、cAMPをシグナル分子としている。コロニーの創始者となる一つの細胞がストレスへの応答でcAMPを分泌し始める。


===ゲノム===
他の細胞はこのシグナルを受け取り、以下の2つの方法で応答する。
キイロタマホコリカビの[[細胞核|核]][[ゲノム]]の塩基配列は、2005年に報告された<ref name="Eichinger2005">{{cite journal|author=Eichinger, L., Pachebat, J. A., Glöckner, G., Rajandream, M. A., Sucgang, R., Berriman, M., ... & Tunggal, B.|year=2005|title=The genome of the social amoeba ''Dictyostelium discoideum''|journal=Nature|volume=435|issue=7038|pages=43-57|doi=10.1038/nature03481}}</ref> (下表)。染色体数は n = 6 であり、合計約 34 Mbp (Mbp = 100万塩基対)。[[GC含量]] ([[デオキシリボ核酸|DNA]]における[[グアニン]]と[[シトシン]]の割合) が低く、22.4%しかない。このゲノム中にはおよそ12,500個の[[遺伝子]] ([[タンパク質]]遺伝子) が存在すると推定されており、ゲノムサイズに対して遺伝子数が多い。イントロンを含む遺伝子が多いが、そのイントロンサイズは一般的な真核微生物と同様に小さい。多くのタンパク質遺伝子はトリプレットリピートをもち、保存性が低い反復[[アミノ酸]]に翻訳される<ref name="Baldauf2017" />。この特徴は他の[[真核生物]]にも見られるがキイロタマホコリカビでは特に顕著であり、進化的可塑性に寄与していると考えられている<ref name="Baldauf2017" />。
*アメーバはシグナルの方へ移動する。
*アメーバはさらにcAMPを出して信号を強くする。
これは、シグナルを周囲のアメーバに中継し、cAMP濃度の最も高い所へ移動させるためである。


{| class="wikitable" style="margin:0 auto; font-size:80%;"
個々の細胞の集合の機構は次のようになっている。
|+ キイロタマホコリカビと他の真核生物の核ゲノムの特徴の比較<ref name="Eichinger2005" />
#[[細胞膜]]がcAMPを認識すると、[[Gタンパク質]]が活性化する。
! 形質 !! キイロタマホコリカビ !! [[熱帯熱マラリア原虫]] !! [[出芽酵母]] !! [[シロイヌナズナ]] !! [[キイロショウジョウバエ]] !! ''[[C. elegans]]'' !! [[ヒト]]
#Gタンパク質は[[アデニル酸シクラーゼ]]の刺激となる。
|-
#cAMPが細胞外へ拡散する。
! ゲノムサイズ (Mbp)
#細胞内cAMPが細胞外cAMP受容体を不活性化する。
| 34 || 23 || 13 || 125 || 180 || 103 || 2,851
#別のGタンパク質が[[ホスホリパーゼ]]Cを刺激する。
|-
#[[イノシトールトリスリン酸]]が[[カルシウム|カルシウムイオン]]を放出する。
! 遺伝子数
#カルシウムイオンが[[細胞骨格]]へ作用し、仮足を伸ばす。
| 12,500 || 5,268 || 5,538 || 25,498 || 13,676 || 19,893 || 22,287
高濃度の細胞内cAMPが細胞外cAMP受容体を不活性化させるため、個々の細胞は振動しているように見える。
|-
この作用でコロニーに集合する際に美しい螺旋を描くように見え、[[ベロウソフ・ジャボチンスキー反応]]を思い起こさせる。
! 平均遺伝子長 (bp)
| 1,756 || 2,534 || 1,428 || 2,036 || 1,997 || 2,991 || 27,000
|-
! 平均コード長 (アミノ酸数)
| 518 || 761 || 475 || 437 || 538 || 435 || 509
|-
! イントロンをもつ遺伝子 (%)
| 69 || 54 || 5 || 79 || 38 || 5 || 85
|-
! 平均イントロン長 (bp)
| 146 || 179 || ND || 170 || ND || 270 || 3,365
|-
! 平均イントロン数
| 1.9 || 2.6 || 1.0 || 5.4 || 4.0 || 5.0 || 8.1
|-
! 第3コドンのAT含量 (%)
| 86 || 83 || 62 || 57 || 50 || 64 || 41
|-
! イントロンのAT含量 (%)
| 88 || 87 || 51 || 55 || 38 || 71 || 62
|}


[[ミトコンドリアDNA]]はおよそ 55.6 kbp (kbp = 1,000塩基対) の環状DNAであり、[[GC含量]]は27.4%<ref name="Ogawa2000">{{cite journal|author=Ogawa, S., Yoshino, R., Angata, K., Iwamoto, M., Pi, M., Kuroe, K., ... & Tanaka, Y.|year=2000|title=The mitochondrial DNA of Dictyostelium discoideum: complete sequence, gene content and genome organization|journal=Molecular and General Genetics|volume=263|issue=3|pages=514-519|doi=10.1007/PL00008685}}</ref><ref name="Pearce2019">{{cite journal|author=Pearce, X. G., Annesley, S. J. & Fisher, P. R.|year=2019|title=The ''Dictyostelium'' model for mitochondrial biology and disease|journal=International Journal of Developmental Biology|volume=63|issue=|pages=497-508|doi=10.1387/ijdb.190233pf}}</ref>。61[[遺伝子]]を含み、全ての遺伝子が同一のDNA鎖に同じ向きにコードされている。ミトコンドリアDNAは、1個の細胞におよそ200コピー存在する。
==ゲノム==
キイロタマホコリカビの全ゲノムは遺伝学者[[ルドウィグ・エイシンガー]]らが2005年に[[ネイチャー]]誌で公表した。


==人間との関わり==
[[ヒトゲノム]]が24の[[染色体]]に25000の[[遺伝子]]があるのに対し、タマホコリカビ属のゲノムは6つの染色体に12500もの遺伝子を持つ。[[コドン]]の3番目の塩基には[[アデニン]]と[[チミン]]が多く、AT含量は77%に達する。ヒトでは[[トリヌクレオチドリピート病]]を引き起こすトリヌクレオチドのタンデムリピートが多く含まれている。
キイロタマホコリカビは、[[米国]][[ノースカロライナ州]]の落葉樹林の落葉層から単離され、Kenneth B. Raper によって1935年に記載された<ref name="Baldauf2017" /><ref name="Raper1935">{{cite journal|author=Raper, K. B.|year=1935|title=''Dictyostelium discoideum'', a new species of slime mold from decaying forest leaves|journal=J. Agr. Res.|volume=50|issue=|pages=135-147|naid=10012612157}}</ref>。Raper はこのときの培養株 (NC4) を用い、移動体の前部と後部がそれぞれ柄と[[胞子]]になること、また細胞集合の走化性物質 (アクラシン) が存在することを示した<ref name="Baldauf2017" />。1967年には、キイロタマホコリカビのアクラシンが[[環状アデノシン一リン酸|cAMP]]であることが明らかになっている<ref name="Baldauf2017" />。1950年代よりキイロタマホコリカビのさまざまな変異体が単離され、特に1967年に無菌培養が可能な株 (AX2) が報告されたことによって、大量の細胞を調達することが可能になった<ref name="Baldauf2017">{{cite book|author=Baldauf, S. L. & Strassmann, J. E.|year=2017|chapter=Dictyostelia|editor=Archibald, J. M., Simpson, A. G. B. & Slamovits, C. H.|title=Handbook of the Protists|publisher=Springer|isbn=978-3319281476|doi=10.1007/978-3-319-28149-0_14|pages=1433-1477}}</ref><ref name="Schaap2011">{{cite journal|author=Schaap, P.|year=2011|title=Evolutionary crossroads in developmental biology: ''Dictyostelium discoideum''|journal=Development|volume=138|issue=3|pages=387-396|doi=10.1242/dev.048934}}</ref>。


キイロタマホコリカビは非病原性で培養が容易であり、さらに[[単細胞]]とさまざまな状態を経る[[多細胞]]体からなる複雑な[[生活環]]が誘導可能で短時間で完了することから、実験生物として大きな利点をもっている<ref name="Baldauf2017" /><ref name="Schaap2011" />。また[[ゲノム]]サイズが小さく、現在では全ゲノム塩基配列が明らかとなっており ([[#ゲノム|上記参照]])、また[[トランスクリプトーム]]情報 (特定の条件でどの遺伝子が発現しているのか) も充実している<ref name="Baldauf2017" /><ref name="Schaap2011" />。[[遺伝子導入]]や[[相同組換え]]に基づく[[遺伝子破壊]]、さらに[[CRISPR|CRSIPR/Cas9]]によるゲノム改変技術も確立しており、さまざまな研究が可能になっている<ref name="Baldauf2017" /><ref name="上村2019" /><ref name="Schaap2011" />。また移動体などは透明であるため、標識がしやすい<ref name="Schaap2011" />。このような理由ため、キイロタマホコリカビは[[モデル生物]]として[[細胞学]]、[[発生学]]、[[遺伝学]]などさまざまな研究に用いられている。細胞レベルの研究としては、細胞運動や[[走化性]]、[[細胞質分裂]]、[[食作用]]などの研究に、多細胞レベルの研究としては細胞間コミュニケーション、細胞分化と発生、細胞間の競争などの研究に用いられている<ref name="Baldauf2017" /><ref name="Schaap2011" />。
==分類==
1935年に[[ノースカロライナ州]]の森で初めて見つかった当初は、タマホコリカビ属は[[下等菌類]]に分類され、後に[[原生生物]]界に分類された。


キイロタマホコリカビ類は、[[医学]]研究でも利用されている。同じ[[アメーボゾア]]に属する病原性種である[[赤痢アメーバ]]や[[アカントアメーバ]]の研究において、比較生物として用いられる<ref name="Baldauf2017" />。また[[リンパ球]]の運動や[[マクロファージ]]の[[食作用]]などに類似した性質を示すため、[[哺乳類]]の[[免疫応答]]の研究に利用されることもある<ref name="Baldauf2017" />。また、ヒトの疾患関連タンパク質の研究に、キイロタマホコリカビがもつ[[相同]]タンパク質が利用されることもある<ref name="Baldauf2017" /><ref name="Schaap2011" />。
1990年代では、多くの科学者が今の分類を支持している。
キイロタマホコリカビのゲノムはこれらの菌類よりも動物や植物のものに近い。


キイロタマホコリカビに関する[[分子生物学]]的データはオンラインデータベース ([http://dictybase.org/ dictyBase]) に整理されている。また培養株や変異体、[[ベクター (遺伝子工学)|ベクター]]、[[プラスミド]]、[[相補的DNA|cDNA]]などの購入環境も整備されている ([https://nenkin.nbrp.jp/ NBRP Nenkin]) (2020年現在)。
==出典==
<references />


==参考文献==
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
*太田次郎、『アメーバ 生命の原型を探る』、(1970)、日本放送協会(NHKブックス)
=== 出典 ===
*[http://www.nature.com/nature/journal/v435/n7038/full/nature03481.html The genome of the social amoeba Dictyostelium discoideum (2005) Nature 435, 43-57]
{{Reflist|2}}
*[http://www.ruf.rice.edu/~bioslabs/studies/invertebrates/dicty.html Dictyostelium (2007)]
*[http://www.rice.edu/sallyport/2004/winter/features/lowsociety/index.html Low Society (2004)]


==外部リンク==
==外部リンク==
{{Commonscat|Dictyostelium discoideum}}
*[http://dictybase.org/ dictyBase]
*[http://dicty.jp/ 日本細胞性粘菌学会]. (2020年12月5日閲覧)
*[http://wiki.dictybase.org/ dictyBase wiki]
*[https://www.youtube.com/channel/UCabd3vbcc7OjO5cH7084mCA/videos?view_as=subscriber dicty.jp細胞性粘菌学会]. YouTube. (2020年12月5日閲覧)
*[http://www.uni-koeln.de/dictyostelium/ ''Dictyostelium discoideum'' Genome Project]
*[https://dictycr.org/ dictyBase]. Dicty Community Resource. (英語) (2020年12月5日閲覧)
*[https://nenkin.nbrp.jp/ NBRP Nenkin] (ナショナルバイオリソースプロジェクト 細胞性粘菌). (2020年12月5日閲覧)
*漆原 秀子 (2007) [https://www.brh.co.jp/publication/journal/052/research_11_2.html 細胞性粘菌のゲノムでみる多細胞化の舞台裏]. 生命誌ジャーナル. (2020年12月5日閲覧)
*[https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/3692/ バクテリアを“栽培”するアメーバ]. ナショナルジオグラフィック. (2020年12月26日閲覧)


{{Normdaten}}
{{Normdaten}}

2021年1月3日 (日) 03:35時点における版

キイロタマホコリカビ
キイロタマホコリカビの子実体
分類
ドメイン : 真核生物 Eukaryota
階級なし : アモルフェア Amorphea
: アメーボゾア門 Amoebozoa
亜門 : コノーサ亜門 Conosa
下門 : 動菌下門 Mycetozoa (真正動菌 Eumycetozoa)
: タマホコリカビ綱 Dictyostelea
: タマホコリカビ目 Dictyosteliales
: タマホコリカビ科 Dictyosteliaceae
: タマホコリカビ属 Dictyostelium
: キイロタマホコリカビ D. discoideum
学名
Dictyostelium discoideum Raper, 1935

キイロタマホコリカビ学名: Dictyostelium discoideum)はアメーボゾアタマホコリカビ類に属する細胞性粘菌の1種である。土壌中に生育する栄養体 (通常時の体) は単細胞アメーバ細胞であり、細菌を捕食し、二分裂して増殖する。飢餓状態になるとアメーバ細胞は集合して多細胞体を形成し、移動した後に子実体 (右図) となって胞子を形成・散布する。このように生活環において細胞が協調してさまざまな形をとること、培養や分子生物学的解析が容易であることから、モデル生物として広く研究に用いられている。

特徴

生活環

キイロタマホコリカビは、単細胞の時期と多細胞の時期からなる生活環をもつ[1][2][3] (下図1)。通常時は単細胞のアメーバ細胞として過ごし、二分裂して増殖する。細菌などを捕食しているが (→#増殖期)、飢餓状態になると細胞が集合して多細胞体 (偽変形体) になる (→#集合期)。偽変形体は匍匐して移動し (→#移動期)、柄と胞子塊からなる子実体を形成 (→#形態形成期)、胞子からアメーバ細胞が発芽する。また有性生殖ではアメーバ細胞が融合、マクロシストを形成する[1][2] (下図1; →#有性生殖)。

1. キイロタマホコリカビの生活環栄養体単細胞のアメーバ細胞であり (中央)、二分裂によって増殖する (左上)。飢餓状態になると細胞が集合し、移動体 (slug; 下) となり、子実体 (下左) を形成、胞子 (sproes) を散布、発芽してアメーバ細胞に戻る。有性生殖では2個のアメーバ細胞が融合し (上)、未融合細胞を誘引して捕食、マクロシスト (右) になり、休眠後に減数分裂を経てアメーバ細胞を放出する。

増殖期

2a. キイロタマホコリカビのアメーバ細胞 (明瞭な収縮胞をもつ)
2b. キイロタマホコリカビのアメーバ細胞の分裂

キイロタマホコリカビの栄養体 (通常時の体) は、直径 8–20 µm ほどの単細胞アメーバ細胞 (粘菌アメーバ myxamoeba, pl. myxamoebae) である[1][4] (右図2)。アメーバ細胞は比較的幅広い仮足と糸状の副仮足を生じ、ゆっくりとスムーズに運動する。アメーバ細胞は細菌が分泌する葉酸に対する走化性を示し、これを捕食する[5]。細胞は1個のをもち、数個の核小体が核膜に沿って存在する[2]。また細胞は1個の収縮胞をもち (図2a)、食胞を形成する[2]。アメーバ細胞は二分裂によって増殖し[2] (図1, 2b)、最適条件では8-10時間に1回分裂する[6]。他のタマホコリカビ類では、不適条件下でアメーバ細胞が細胞壁を形成してミクロシストとなることがあるが、キイロタマホコリカビではミクロシスト形成は知られていない[7]

集合期

3a. キイロタマホコリカビの集合
3b. キイロタマホコリカビの集合体 (ストリーム)

アメーバ細胞はPSF (prestarvation factor) とよばれる糖タンパク質を常に分泌することによって、同種の細胞と餌である細菌の量比を監視している[8]。この比が一定量を超えた場合 (細菌の減少など)、アメーバ細胞は増殖を止め、集合 (aggregation) に必要な遺伝子発現を開始する[1][8]

細胞性粘菌において集合のためのシグナル物質はアクラシンと総称されるが、キイロタマホコリカビのアクラシンはcAMPである[2][5]。cAMPを受け取ったアメーバ細胞は、cAMPに対する走化性を示すと共に、自身でもcAMPを合成・分泌する[5]。このようにして情報は次々と伝搬していき、約10万個の細胞が集合する[5] (右図3a)。cAMPに対する走化性は極めて鋭敏であり、わずか1–2%の濃度勾配を感知できる[5]。cAMPは細胞膜上の受容体であるcAR (cAMP receptor) に結合し、Gタンパク質などを介してPI3キナーゼ (phosphoinositide 3−kinase) やプロテインキナーゼB (protein kinase B) を活性化し、細胞骨格系タンパク質 (アクチンなど) にシグナルを伝え、cAMP源への細胞運動を行うと考えられている[8][9]。また同時にアデニル酸シクラーゼも活性化され、cAMPを合成し、細胞外に分泌する[8][9]。またホスホジエステラーゼ (PDE) も分泌され、cAMPを分解する。このcAMPの分泌と分解が細胞集団において同調的・周期的 (約6分間) に行われ、cAMPの波 (cAMPパルス) が生じる[1][8][9]。これによる集合パターンはベロウソフ・ジャボチンスキー反応に一致する非線形現象であることが知られている[10]

集合中のアメーバ細胞は細長くなり、その前後縁にはCsA (contact site A) タンパク質が、側面にはDd-Cad1タンパク質が局在している[1][5]。CsAタンパク質やDd-Cad1タンパク質はともに細胞間接着分子となる糖タンパク質であり、これによって連なったアメーバ細胞群はストリーム (stream) とよばれる放射状の構造を形成する[5] (右図3a, b)。

ストリーム形成を介して形成された細胞塊 (多細胞体) は偽変形体 (pseudoplasmodium) ともよばれるが[2]子実体形成に至るまで様々な形態変化を示し、キイロタマホコリカビではそれぞれの時期に名称が付けられている。集合した当初の細胞塊は、マウンド (mound) とよばれる[5] (上図1)。マウンドは、細胞が分泌した糖タンパク質セルロースからなる粘液鞘 (slime sheath) で覆われる[2][5]。マウンドは、細胞間の結合がゆるい状態 (ルースマウンド loose mound) から、しっかりと結合した状態 (タイトマウンド tight mound) へ変化する[5]。種特異的な多型細胞接着タンパク質、特にtgrB1とtgrC1を発現し、細胞接着に関わる[1]。この間に、予定柄細胞 (prestalk cell) と予定胞子細胞 (prespore cell) への細胞分化が始まる[5]。予定柄細胞は、マウンドの頂上部で乳頭突起 (tip) を形成する (tipped mound)[5]。突起はcAMPのパルス生成を続け、これがマウンド内の細胞分化を制御する[1]

移動体期

4a. キイロタマホコリカビのマウンドから移動体への以降
4b. キイロタマホコリカビの移動体

予定柄細胞からなる突起、さらに全体が細長く伸長し (finger ともよばれる)、やがて基質上に横倒しになる (上図1、右図4a、下図5a)。この細長い構造は移動体 (ナメクジ体 slug, grex) とよばれ、粘液質を残しながら基質上を匍匐・移動する[2][5] (右図4b)。移動体の長さは 0.4–2.0 mm、直径は 0.07–0.25 mm[4]。移動体は明瞭な前後軸をもち、先端側に予定柄細胞、それ以外が予定胞子細胞で占められている[5]。予定柄細胞と予定胞子細胞の細胞数の比はおよそ1:4で決まっており、この比の調節にはcAMPアンモニア、DIF-1 (differentiation-inducing factor 1) などが関わっている[5]。また移動体を分割して予定柄細胞のみ、または予定胞子細胞のみからなる細胞塊をつくっても、細胞は脱分化・再分化して (小さいながらも) 通常と同じ子実体を形成する[3]タマホコリカビ類では移動体が既に柄を形成している例も多いが、キイロタマホコリカビの移動体では柄は形成されていない[11]

移動体は外的な刺激がなくても自律的に運動するが、光や温度、湿度、溶質濃度に対する走性を示す[1][5]走光性に関しては、青色光 (ピーク波長は 420 nm、440 nm) や緑色光 (ピーク波長は 560 nm) に強く反応する[5]。移動体は側面から光を受けると、レンズ効果によって入光側の反対側で集光し、これが走光性を引き起こすと考えられている[5]。移動体の走温性は極めて鋭敏であり、わずか 0.05℃/cm の差を検出する[5]。これらのシグナル検出機構の詳細は明らかではない (2019年現在)[5]。移動体の運動は、個々の細胞の運動が統合されたらせん運動によって起こり、この運動は先端部において続くcAMPのパルス生成によって制御される[1]。このような走性によって、移動体は子実体形成に適した場所に移動する。

形態形成期

停止した移動体は、メキシカンハット (“Mexican hat” stage) とよばれる形に変形する[1] (上図1)。基質に接している底面の細胞は、セルロース性の細胞壁を形成し、液胞化して死細胞になり basal disk (直径 150−400 µm[4]) を形成する[1][2]。中央の突出部は予定柄細胞からなり、それを囲むようにセルロースを主成分とする管が形成され、その中で予定柄細胞も同様に死細胞である柄細胞になる[1][5][2]。柄は下方に伸長し、柄が basal disk に達すると、上方に残されていた予定柄細胞が柄の上に積み重なって柄が上方に伸長する[5] (下図5a)。柄の先端は棍棒状になる[12]。これに伴って予定胞子細胞も上昇し、個々の細胞がセルロース性の細胞壁で囲まれて胞子になる[5]。その結果、最終的に柄の先端に粘液質で囲まれた胞子塊 (sorus, pl. sori) がつくられ、また胞子塊の先端側に upper cup、基部側に lower cup が形成、子実体 (fruiting body; 累積子実体, ソロカルプ sorocarp) が完成する[1][2][13] (下図5)。胞子塊は球形で灰白色から淡黄色、直径はふつう 125–300 µm[4]。柄は先細で直径 5–80 µm、長さ 1.5–3 mm[4]

5a. キイロタマホコリカビの子実体形成過程
5b. キイロタマホコリカビの子実体形成
5c. キイロタマホコリカビの子実体形成
5d. キイロタマホコリカビの子実体

胞子は風散布ではなく、おそらく小動物に付着して胞子塊として散布される[1]。胞子は長楕円形、2.5–3.5 x 6–9 µm[4][11][12]。胞子塊中にあるときは高浸透圧環境であり、胞子の発芽は抑制されている[5]。またディスカデニン (discadenine) は胞子内のプロテインキナーゼA (PKA) 活性を高く維持するため、これも胞子発芽を抑制する[5]。このような発芽抑制がない好適な環境で胞子細胞壁は縦裂し、アメーバ細胞を放出する[1]。最適な条件下では、胞子が発芽して子実体形成を経て次の胞子が形成されるまでに72時間しかかからない[1]

有性生殖

6. キイロタマホコリカビの有性生殖: 細胞内の赤と青は対応する交配型のゲノムを示す。配偶子合体によって生じた接合子 (上) は紫色で示している。接合子は細胞を誘引して捕食し (右上〜下)、マクロシストになる。マクロシストは減数分裂を経て発芽する (左下)。

キイロタマホコリカビの有性生殖では、アメーバ細胞が融合してマクロシスト (macrocyst) を形成する[1] (右図6)。キイロタマホコリカビの交配型は、単一の遺伝子座で決定される3型 (type-I, II, III) がある[1][14]。対応する交配型のアメーバ細胞が融合すると2の細胞が形成され、やがてこの2核は融合し、接合子である巨大細胞 (giant cell) が形成される[1]。巨大細胞はcAMPを分泌し、未融合細胞を誘引する。この反応は子実体形成時の細胞集合 (上記参照) に類似しているが、より小規模である[1]。やがて巨大細胞と集合した未融合細胞は共通の外被で覆われ、巨大細胞は未融合細胞を捕食していき、得られた物質を利用してさらに外被を発達させて5層の細胞壁を形成する[1]。このようにして形成されたマクロシストは、耐久細胞となり休眠する。

マクロシストは発芽前に減数分裂を行い、その結果生じたの1個のみが残る[1]。さらに発芽時に連続した体細胞分裂を行い、多数のアメーバ細胞を形成、これが放出される[1] (右図6)。

裏切り

7a. 裏切り者 (赤) の多くは胞子になり、柄の形成にはほとんど寄与しない。
7b. 裏切り者 (赤) を含む遺伝的にキメラな移動体 (下) は移動距離が短く、柄が短いこともある。

キイロタマホコリカビの子実体形成において、胞子となった細胞は散布されて発芽し、次世代につながることが出来る。一方で柄となった細胞はその場で死ぬ。柄を形成することは胞子の散布を効率的にするため、細胞が柄となる行動は利他的行動とも見なされ、そのためキイロタマホコリカビを含むタマホコリカビ類は社会性アメーバ (social amoeba) とよばれる[15][16]

このような細胞どうしの関係においては、集合の中心にあった細胞や、より"強い"細胞 (分裂前の大型の細胞、栄養価の高い餌を食べていた細胞) が胞子になりやすい[1]。また異なる株が混合して単一の子実体を形成する際には、特定の株が胞子になりやすい (柄になりにくい) 性質を示すことがある[1] (図7a)。このような性質は"裏切り" (cheating) とよばれ、株自身の遺伝的な性質と、株間の関係によって生じることが知られている[1][17]。裏切りには利点と不利な点があり、裏切り者は胞子になれる利点があるが、裏切り者を含む遺伝的にキメラな移動体は、短距離しか移動できない[1] (図7b)。また絶対的な裏切り者 (柄細胞にはならない) の株は、自身のみでは子実体を形成できない (絶対的社会寄生者 obligate social parasites)。

裏切りとそれに対する防御は、キイロタマホコリカビの進化における重要な要素であると考えられている。実験室で30世代を経ると、変異によって裏切り者の集団がいくつも生じる[1]。1遺伝子のノックアウト実験では、100個以上の遺伝子において、ノックアウトすると裏切り者となることが示されている (絶対的社会寄生者を含む)[1]。一方でこのような裏切り者とともに培養してきた集団は、裏切り者に対して耐性を示し、抵抗性が進化することを示している[1]。例えばキイロタマホコリカビのアメーバ細胞は、細胞接着タンパク質であるtgrB1やtgrC1産物によって相手が遺伝的に同一か否かを判断し、細胞集合時に遺伝的に異なる個体を排除する傾向がある。ただしこのような選択の強さは種によって異なり、キイロタマホコリカビにおける選択は、ムラサキタマホコリカビなどにくらべて弱いことが知られている[1]

原始的な農業

キイロタマホコリカビの一部の株 (全てではない) はファーマー (farmer, "農家") とよばれ、胞子塊中に細菌を保持していることが知られている[1][18][19]。さまざまな細菌が共生しているが、特にバークホルデリア属 (プロテオバクテリア門) の特定の種が含まれている。これらの細菌は胞子散布先で放出されて増殖し、胞子から発芽したアメーバ細胞の餌となると考えられている。この現象は、「原始的な農業」ともよばれる[5]

このようなバークホルデリア属の一部は、キイロタマホコリカビの餌となることはなく、ファーマーには無害だが非ファーマーには毒となる物質を生成することが知られている[1][19]。このことは、ファーマーに競争者の排除という利益を与えていると考えられている。またこのようなバークホルデリア属の細菌とキイロタマホコリカビは、共進化していることが示唆されている[1]

ゲノム

キイロタマホコリカビのゲノムの塩基配列は、2005年に報告された[20] (下表)。染色体数は n = 6 であり、合計約 34 Mbp (Mbp = 100万塩基対)。GC含量 (DNAにおけるグアニンシトシンの割合) が低く、22.4%しかない。このゲノム中にはおよそ12,500個の遺伝子 (タンパク質遺伝子) が存在すると推定されており、ゲノムサイズに対して遺伝子数が多い。イントロンを含む遺伝子が多いが、そのイントロンサイズは一般的な真核微生物と同様に小さい。多くのタンパク質遺伝子はトリプレットリピートをもち、保存性が低い反復アミノ酸に翻訳される[1]。この特徴は他の真核生物にも見られるがキイロタマホコリカビでは特に顕著であり、進化的可塑性に寄与していると考えられている[1]

キイロタマホコリカビと他の真核生物の核ゲノムの特徴の比較[20]
形質 キイロタマホコリカビ 熱帯熱マラリア原虫 出芽酵母 シロイヌナズナ キイロショウジョウバエ C. elegans ヒト
ゲノムサイズ (Mbp) 34 23 13 125 180 103 2,851
遺伝子数 12,500 5,268 5,538 25,498 13,676 19,893 22,287
平均遺伝子長 (bp) 1,756 2,534 1,428 2,036 1,997 2,991 27,000
平均コード長 (アミノ酸数) 518 761 475 437 538 435 509
イントロンをもつ遺伝子 (%) 69 54 5 79 38 5 85
平均イントロン長 (bp) 146 179 ND 170 ND 270 3,365
平均イントロン数 1.9 2.6 1.0 5.4 4.0 5.0 8.1
第3コドンのAT含量 (%) 86 83 62 57 50 64 41
イントロンのAT含量 (%) 88 87 51 55 38 71 62

ミトコンドリアDNAはおよそ 55.6 kbp (kbp = 1,000塩基対) の環状DNAであり、GC含量は27.4%[21][22]。61遺伝子を含み、全ての遺伝子が同一のDNA鎖に同じ向きにコードされている。ミトコンドリアDNAは、1個の細胞におよそ200コピー存在する。

人間との関わり

キイロタマホコリカビは、米国ノースカロライナ州の落葉樹林の落葉層から単離され、Kenneth B. Raper によって1935年に記載された[1][4]。Raper はこのときの培養株 (NC4) を用い、移動体の前部と後部がそれぞれ柄と胞子になること、また細胞集合の走化性物質 (アクラシン) が存在することを示した[1]。1967年には、キイロタマホコリカビのアクラシンがcAMPであることが明らかになっている[1]。1950年代よりキイロタマホコリカビのさまざまな変異体が単離され、特に1967年に無菌培養が可能な株 (AX2) が報告されたことによって、大量の細胞を調達することが可能になった[1][8]

キイロタマホコリカビは非病原性で培養が容易であり、さらに単細胞とさまざまな状態を経る多細胞体からなる複雑な生活環が誘導可能で短時間で完了することから、実験生物として大きな利点をもっている[1][8]。またゲノムサイズが小さく、現在では全ゲノム塩基配列が明らかとなっており (上記参照)、またトランスクリプトーム情報 (特定の条件でどの遺伝子が発現しているのか) も充実している[1][8]遺伝子導入相同組換えに基づく遺伝子破壊、さらにCRSIPR/Cas9によるゲノム改変技術も確立しており、さまざまな研究が可能になっている[1][5][8]。また移動体などは透明であるため、標識がしやすい[8]。このような理由ため、キイロタマホコリカビはモデル生物として細胞学発生学遺伝学などさまざまな研究に用いられている。細胞レベルの研究としては、細胞運動や走化性細胞質分裂食作用などの研究に、多細胞レベルの研究としては細胞間コミュニケーション、細胞分化と発生、細胞間の競争などの研究に用いられている[1][8]

キイロタマホコリカビ類は、医学研究でも利用されている。同じアメーボゾアに属する病原性種である赤痢アメーバアカントアメーバの研究において、比較生物として用いられる[1]。またリンパ球の運動やマクロファージ食作用などに類似した性質を示すため、哺乳類免疫応答の研究に利用されることもある[1]。また、ヒトの疾患関連タンパク質の研究に、キイロタマホコリカビがもつ相同タンパク質が利用されることもある[1][8]

キイロタマホコリカビに関する分子生物学的データはオンラインデータベース (dictyBase) に整理されている。また培養株や変異体、ベクタープラスミドcDNAなどの購入環境も整備されている (NBRP Nenkin) (2020年現在)。

脚注

出典

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外部リンク