アッシュル
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アッシュール | |||
英名 | Ashur (Qal'at Sherqat) | ||
仏名 | Assour (Qal'at Cherqat) | ||
登録区分 | 文化遺産 | ||
登録基準 | (2), (3), (4) | ||
登録年 | 2003年 | ||
備考 | 2003年より危機遺産に指定 | ||
公式サイト | 世界遺産センター(英語) | ||
地図 | |||
使用方法・表示 |
アッシュール(アッカド語: 𒀸𒋗𒁺 𐎹 - Aššūrāyu、アッシリア語 (Assyrian language) : 𒀸𒋩 - ašsur)は、アッシリアの最初の首都となったチグリス川西岸の都市、およびそれを中心とする地域、あるいはその主神。現在のイラクのカラト・シャルカト(サラーフッディーン県)に位置する。
名称
アッシュールがメソポタミア諸都市の中でも特異な点は、「都市アッシュール」と、それを中心とした地域である「アッシュールの地」と、それらを守護する「アッシュール神」が全く同一の名前である点であり、粘土板文書では発音されない限定符によってこの三者が区別される。
都市アッシュール
アッシュールの地
アッシュール神
アッシュール市そのものが神格化された神で、都市と同じ名前を持つアッシリアの最高神、その名前の意味や語源は不明。
配偶神はムリッス女神(バビロニアにおける、エンリル神の配偶神ニンニル)。
サルゴン二世(BC721~705)の治世、アッシュール神が世界創造時からの神であるとするために、エヌマ・エリシュにおいてアヌ (メソポタミア神話)の父とされるアンシャルと習合された。アンシャルが選ばれた理由は名前の類似による。
次代のセンナケリブ(BC704~681)により行われたアッシュル至上主義的宗教改革により、マルドゥクのものであった、エヌマ・エリシュおよび、新年祭などでの主神の座を奪い、名実共に最高神の地位に就く。
その治世の間のほぼ20年間、バビロンより奪われたマルドゥク神像はアッシュール市に留め置かれ、バビロニアでは新年際が開催されることはなかった。
𒀭(ディンギル、en:Dingir)・𒀸𒋗𒁺 𐎹(アッシュール)と表記される。
歴史
紀元前14世紀後半からアッシュールナシルパル2世の世まで新アッシリア国王の都市として栄え、アッシュールナシルパル2世によって紀元前883年にカルフ(ニムルド)へ首都が移された後は、イシュタルとアッシュールの神殿とともに、アッシリアの宗教的な中心としてその重要性を維持し続けた。
アッシュールはシン・シャル・イシュクンの治世の紀元前614年に新バビロニアのナボポラッサルとメディア王国のキュアクサレス2世の連合軍によって征服された(アッシュール陥落)。
今日、考古学的な調査は、ドイツの調査団によってなされている。
世界遺産
2003年7月2日、アッシュール遺跡はイラクの2件目の世界遺産に登録された。
登録基準
この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。
- (2) ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
- (3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。
- (4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
参考文献
- 「古代オリエント事典」 監修:日本オリエント学会 岩波書店
- 「Gods, Demons and Symbols of ancient Mesopotamia」Jeremy Black & Anthony Green, University of Texas Press
- 「NHK学園 メソポタミアの世界」テキスト下巻 監修:日本オリエント学会