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池田政周

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
池田政周
時代 江戸時代前期
生誕 明暦2年(1656年
死没 延宝5年1月8日1677年2月9日
改名 鍋之助、政周
別名 政元
戒名 智光院殿義峯崇俊大居士
墓所 岡山県備前市吉永町の和意谷池田家墓所
官位 従五位下豊前守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家綱
播磨山崎藩
氏族 池田氏(恒元流)
父母 父:池田恒元、母:上田氏
養母:松平定勝の娘・玉子
兄弟 政周板倉重良正室、蕃子、竹中重長正室
板倉重大の娘・遊子
養子:恒行
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池田 政周(いけだ まさちか)は、江戸時代前期の大名播磨国山崎藩の第2代藩主。官位従五位下豊前守政元ともいう。恒元系池田家2代。

略歴

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初代藩主・池田恒元の長男として誕生した。幼名は鍋之助。

寛文11年(1671年)、父の死去により跡を継ぐが、延宝5年(1677年)正月8日に早世した。嗣子がなく、跡を池田綱政(従兄にあたる)の六男・恒行が継いだ。法号は智光院殿義峯崇俊大居士。墓所は岡山県備前市吉永町の和意谷池田家墓所

和意谷池田家墓所六のお山の政元(政周)の墓

系譜

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