渡辺宣綱

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渡辺宣綱
守綱寺所蔵
時代 江戸時代前期
生誕 正保2年(1645年
死没 元禄2年1月6日1689年1月26日
別名 新七、通称:半蔵
墓所 愛知県豊田市寺部町の守綱寺
主君 徳川光友
尾張藩付家老
氏族 三河渡辺氏
父母 父:渡辺治綱、母:鳥居忠勝
養子:定綱渡辺長綱子)
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渡辺 宣綱(わたなべ のぶつな)は、江戸時代前期の尾張藩家老。渡辺半蔵家4代当主。

略歴[編集]

正保2年(1645年)、渡辺治綱の子として三河国寺部で誕生した。

承応2年(1654年)、江戸に下り、江戸城で4代将軍徳川家綱に拝謁する。明暦2年(1656年)江戸に下った際に将軍・家綱に召されて、先祖・守綱の功績について下問があった。明暦3年(1657年)、父の死去により家督相続し、寺部領主となる。

天和元年(1681年)6月27日、幕府大目付を務める叔父・綱貞が、越後騒動に関連する取次行為を咎められ八丈島に流罪となり、その影響で将軍家への月次、年頭、歳暮の献上が途絶えた。

渡辺宣綱の墓(豊田市守綱寺)

元禄2年(1689年)1月6日死去。享年45。家督は叔父・長綱の子・定綱が養子となって相続した。

出典[編集]

  • 『名古屋市史』
  • 『金鯱叢書第28輯』