渡辺治綱

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渡辺治綱
守綱寺所蔵
時代 江戸時代前期
生誕 慶長11年(1606年
死没 明暦3年10月20日1657年11月25日
別名 通称:半蔵
墓所 愛知県豊田市寺部町の守綱寺
官位 従五位下右馬允飛騨守
主君 徳川義直光友
尾張藩付家老
氏族 三河渡辺氏
父母 父:渡辺重綱、母:杉浦盛嗣
兄弟 勝綱仲綱忠綱治綱吉綱
綱貞(三綱)長綱石川正光正室、
松平三左衛門室、稲葉正通
正室:鳥居忠勝
宣綱
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渡辺 治綱(わたなべ はるつな)は、江戸時代前期の尾張藩家老。渡辺半蔵家3代当主。

略歴[編集]

慶長11年(1606年)、山城国伏見徳川家家臣・渡辺重綱の四男として誕生。

元和6年(1620年)、尾張藩主・徳川義直に仕え、知行2000石を賜る。寛永18年(1641年)、家老となる。寛永20年(1643年)、父の隠居により家督相続し、寺部領主となる。正保2年(1645年)12月、尾張藩の諸大夫3名の増員が幕府より認められ、寺尾直政間宮正綱と共に叙任、従五位下・右馬允となる。承応3年(1654年)、3000石の加増を受ける。従五位下・飛騨守に遷任。

渡辺治綱の墓(豊田市守綱寺)

明暦3年(1657年)、江戸で病に倒れ、2代藩主・徳川光友の見舞いを受ける。帰国後、同年10月20日死去。享年52。嫡男・宣綱が家督を相続した。

出典[編集]

  • 『名古屋市史』