清浄寺 (吉川市)
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清浄寺 | |
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所在地 | 埼玉県吉川市木売2-20-5 |
位置 | 北緯35度52分26秒 東経139度50分36秒 / 北緯35.87389度 東経139.84333度座標: 北緯35度52分26秒 東経139度50分36秒 / 北緯35.87389度 東経139.84333度 |
山号 | 楠井山 |
宗派 | 浄土真宗本願寺派 |
創建年 | 弘長元年(1261年) |
開山 | 西念 |
中興年 | 天保9年(1838年) |
中興 | 茂木佐平治 |
文化財 | 西念法師塔、南无仏塔(以上、埼玉県指定史跡)、 |
公式サイト | 楠井山清浄寺|埼玉県吉川市の浄土真宗本願寺派寺院 |
法人番号 | 3030005010427 |
清浄寺(しょうじょうじ)は、埼玉県吉川市にある浄土真宗本願寺派の寺院。
歴史
[編集]1261年(弘長元年)、西念によって開山された。西念は親鸞の高弟「二十四輩」の一人で、俗名「井上貞親」といい、信濃国(現・長野県)の井上城の城主だった井上氏の出身であった。西念は武蔵国足立郡野田(現・埼玉県さいたま市緑区上野田)に西念寺(廃寺、後に現在の茨城県坂東市に西念寺として再興)を創建、水運の要衝であった当地にも「西光院」を創建した。これが当寺の起源である[1][2]。
建武期の兵乱の際に、西光院第3世住職西順は、親鸞木像を門前に埋めて隠した。しかし後に西順も寂したため、いつしか忘れ去られてしまった。第4世了西の時に、親鸞像を埋めたところが「むくむく」と動いたため、その場所を掘ったところ親鸞像が出土した。この逸話から「おむくさま」と呼ばれるようになり、別堂の「おむく堂」に安置されることになった[1][2]。
その後の戦乱もあり、いつしか浄土真宗の法統は絶え、西光院は真言宗の寺になっていた。1838年(天保9年)、下総国野田町(現・千葉県野田市)の醤油醸造家茂木佐平治により、「おむく堂」は浄土真宗の「清浄寺」として分離独立した。その後、真言宗の西光院は廃寺となっている[2]。
当寺には、「南无仏塔」というものがある。「无」は「無」の略字体である。現在は埼玉県の史跡に指定されている[3]。
文化財
[編集]交通アクセス
[編集]- 吉川駅より徒歩5分。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 花井泰子、花井敬、青木忠雄 著『さいたま寺社めぐり 夫婦で訪ねた四季の寺社76選』幹書房、1999年