コンテンツにスキップ

海蔵寺 (小田原市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
海蔵寺

本堂
所在地 神奈川県小田原市早川766
位置 北緯35度14分28.1秒 東経139度08分32.7秒 / 北緯35.241139度 東経139.142417度 / 35.241139; 139.142417座標: 北緯35度14分28.1秒 東経139度08分32.7秒 / 北緯35.241139度 東経139.142417度 / 35.241139; 139.142417
宗派 曹洞宗
創建年 嘉吉元年(1441年
開山 安叟宗楞
開基 大森氏頼
法人番号 6021005005596
海蔵寺の位置(神奈川県内)
海蔵寺
海蔵寺
海蔵寺 (神奈川県)
テンプレートを表示

海蔵寺(かいぞうじ)は、神奈川県小田原市にある曹洞宗寺院

歴史

[編集]

嘉吉元年(1441年)に大森氏頼の叔父にあたる安叟宗楞による開山とされ[1]、開基は大森氏頼と伝わる[2]。安叟宗楞は他に同市の総世寺静岡県熱海市保善院を開山している[3]

大森氏以後は後北条氏からも庇護を受けた。永禄11年(1568年)7月5日、後北条氏は海蔵寺の僧が使僧として上洛した際の路賃として千疋を与えている[4]。また同9日、海蔵寺の僧が小田原から甲斐国へ至る道中の駄賃を免除している[5][6]

元亀元年(1570年)4月、北条氏康は海蔵寺に禁制を出し、その責任者に富士常陸守を任じている[7][8][9]

1590年天正18年)の豊臣秀吉による小田原攻めの際、堀秀政が当寺に陣を構えていた。しかし秀政は病に倒れ、陣中にて没している。境内にはその秀政の墓がある[3]

交通アクセス

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 辞典(2006) p.310
  2. ^ 佐藤(2006) p.149
  3. ^ a b 神奈川県高等学校教科研究会社会科部会歴史分科会 編『神奈川県の歴史散歩 下(歴史散歩14) 鎌倉・湘南・足柄』山川出版社、2005年、238p
  4. ^ 『戦国遺文』後北条氏編第2巻 1084号文書、東京堂出版
  5. ^ 『戦国遺文』後北条氏編第2巻 1086号文書、東京堂出版
  6. ^ 小和田哲男、『武将たちと駿河・遠江』364-365頁、清文堂出版
  7. ^ 『戦国遺文』後北条氏編第2巻 1414号文書、東京堂出版
  8. ^ 佐藤(2006) p.165
  9. ^ 下山治久、『後北条氏家臣団人名辞典』529頁、東京堂出版

参考文献

[編集]
  • 戦国人名辞典編集委員会『戦国人名辞典』吉川弘文館、2006年。ISBN 978-4-642-01348-2 
  • 佐藤博信『中世東国 足利・北条氏の研究』岩田書院〈中世史研究叢書〉、2006年。ISBN 978-4-872-94426-6 
  • 神奈川県高等学校教科研究会社会科部会歴史分科会 編『神奈川県の歴史散歩 下(歴史散歩14) 鎌倉・湘南・足柄』山川出版社、2005年