浅井直種
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時代 | 戦国時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
別名 | 蔵人、蔵人丞(通称)、直稙、廣政 |
官位 | 備後守 |
主君 | 京極氏 |
氏族 | 浅井氏 |
父母 | 浅井重政 |
兄弟 | 忠政、直種 |
子 | 政種、亮政、井演、政信? |
浅井 直種(あざい なおたね)は、戦国時代の武将。近江国の守護大名京極氏の家臣。浅井政信も直種の子という説がある。
略歴[編集]
浅井氏の庶流に当たる。甥で宗家の浅井直政に男子がいなかった為、子の勝政(後の亮政)を養子として出した。
明応5年(1496年)、美濃国守護・土岐氏の内乱(船田合戦)において、石丸利光討伐のため美濃守護代格斎藤妙純が近江守護・京極氏に援軍を求めた時には、直種も京極方援軍として出陣している。利光はこの戦いで敗れ自刃している。
京極氏のお家騒動(京極騒乱)では、直種は京極材宗と共に文亀元年(1501年)に京極高清・上坂家信と戦う。永正2年(1505年)には高清と材宗の間で和議が結ばれ、後継者争いは終結した。