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泉洋藤太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

泉洋 藤太郎(いずみなだ とうたろう、1896年1月4日 - 1937年12月17日[1])は、現在の大阪府高石市出身で井筒部屋猪名川部屋、再度井筒部屋に所属した力士。本名は山条 藤太郎(やまじょう とうたろう)。176cm、105kg。最高位は西前頭7枚目。得意手は右四つ、寄り、押し。

来歴

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1912年1月場所に井筒部屋より初土俵を踏むが、番付につく前に、すぐに大坂の猪名川部屋に移籍する。その後、1916年5月場所に東京に復帰し、幕下付出で再登場した。1922年1月場所に十両昇進。1926年5月場所に新入幕、上位にはあがれず1928年1月場所に廃業した。

主な成績

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  • 通算成績:85勝73敗18休(東京のみ) 勝率.538
  • 幕内成績:25勝28敗13休 勝率.472
  • 現役在位:26場所
  • 幕内在位:6場所

場所別成績

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泉洋 藤太郎
春場所 三月場所 夏場所 秋場所
1912年
(明治45年)
x x (前相撲) x
1913年
(大正2年)
x x x x
1914年
(大正3年)
x x x x
1915年
(大正4年)
x x x x
1916年
(大正5年)
x x 幕下
2–2–1 
x
1917年
(大正6年)
東幕下53枚目
2–3 
x 東三段目5枚目
4–1 
x
1918年
(大正7年)
西幕下31枚目
4–1 
x 東幕下7枚目
2–1–2 
x
1919年
(大正8年)
東幕下5枚目
2–3 
x 東幕下12枚目
2–3 
x
1920年
(大正9年)
東幕下19枚目
1–2–2 
x 東幕下35枚目
3–2 
x
1921年
(大正10年)
東幕下22枚目
4–1 
x 東幕下2枚目
4–1 
x
1922年
(大正11年)
東十両9枚目
2–3 
x 西幕下筆頭
3–2 
x
1923年
(大正12年)
西十両9枚目
4–2 
x 西十両7枚目
3–3 
x
1924年
(大正13年)
西十両7枚目
2–3 
x 東十両11枚目
3–3 
x
1925年
(大正14年)
西十両6枚目
2–4 
x 西十両15枚目
4–2 
x
1926年
(大正15年)
西十両4枚目
7–3 
x 西前頭14枚目
5–4–2 
x
1927年
(昭和2年)
東前頭15枚目
6–5 
東前頭15枚目
7–4 
東前頭9枚目
4–7 
西前頭7枚目
3–8 
1928年
(昭和3年)
西前頭12枚目
引退
0–0–11
x x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

改名歴

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  • 朝ノ森 藤太郎(あさのもり とうたろう、1912年1月場所 - 1912年5月場所、大坂)
  • 駒泉 藤太郎(こまいずみ とうたろう、1913年1月場所 - 1915年6月場所)
  • 朝ノ森 藤太郎(あさのもり とうたろう、1916年1月場所 - 1916年5月場所)
  • 泉洋 藤太郎(いずみなだ とうたろう、1916年5月場所中 - 1920年1月場所、東京)
  • 朝ノ森 藤太郎(あさのもり とうたろう、1920年5月場所 - 1921年1月場所)
  • 浅ノ森 藤太郎(あさのもり とうたろう、1921年5月場所 - 1923年1月場所)
  • 朝ノ森 藤太郎(あさのもり とうたろう、1923年5月場所)
  • 泉洋 藤太郎(いずみなだ とうたろう、1924年1月場所 - 1928年1月場所)

参考文献

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  • 大相撲力士名鑑平成13年版、水野尚文、京須利敏、共同通信社、2000年、ISBN 978-4764104709

出典

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  1. ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 60頁

関連項目

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外部リンク

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