沢木駅

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沢木駅
駅跡
さわき
Sawaki
興部 (8.3 km)
所在地 北海道紋別郡雄武町字沢木
北緯44度31分4.5秒 東経143度3分45.2秒 / 北緯44.517917度 東経143.062556度 / 44.517917; 143.062556
所属事業者 日本国有鉄道(国鉄)
所属路線 興浜南線
キロ程 8.3 km(興部起点)
電報略号 ハキ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1935年昭和10年)9月15日[1]
廃止年月日 1985年昭和60年)7月15日[1]
備考 興浜南線廃線に伴い廃駅
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1978年の沢木駅と周囲約500m範囲。左上が雄武方面。短い島状の単式ホームが見える。日の出岬がすぐ上方にあり、その南の根本に位置する小さな漁港町。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

沢木駅(さわきえき)は、かつて北海道紋別郡雄武町字沢木に存在した、日本国有鉄道(国鉄)興浜南線廃駅)である。電報略号ハキ事務管理コードは▲122201[2]

歴史[編集]

駅名の由来[編集]

地名より。もともとは元沢木地区を指すアイヌ語名であったとされるが、語源は忘れられている[5]

アイヌ語研究者の山田秀三永田方正の説を基に「サㇻキ(sarki)」(ヨシ)が語源ではないか[5]、としているが、1973年(昭和48年)に国鉄北海道総局が発行した『北海道 駅名の起源』では「サマケ」という語が語源であるという説を出し、「傍の所」の意ではないかとしている[6]

駅構造[編集]

廃止時点で、1面1線の単式ホームと線路を有する地上駅であった[7]。ホームは、線路の北西側(雄武方面に向かって左手側)に存在した。このほか、雄武方から駅舎側に分岐する側線を1本有していた[7]。このホームは本来島式ホームで、興浜線全通の際には列車交換可能な配線とする計画があった事が指摘されている[7]

無人駅となっていた。駅舎は構内の南西側に位置し、ホームとは通路で連絡した[7]有人駅時代の駅舎は改築され、渚滑線下渚滑駅興浜北線豊牛駅などと同型の駅舎となっていた。改築の際に線路未敷設側のホーム上に位置変更している[7]

駅周辺[編集]

駅跡[編集]

2000年(平成12年)時点で当駅の跡地は小公園になっており、駅名標や名所案内も残っていた[8]。また、雄武方の日の出岬に向かう線路跡は道路となっている[8]2010年(平成22年)時点も同様であった[9]2016年(平成28年)4月時点で駅名標と名所案内は撤去されていた。

隣の駅[編集]

日本国有鉄道
興浜南線
興部駅- 沢木駅 - <元沢木仮乗降場> - 栄丘駅

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ』(初版)JTB、1998年10月1日、913頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、243頁。doi:10.11501/1873236https://doi.org/10.11501/18732362023年3月21日閲覧 
  3. ^ 「日本国有鉄道公示第157号」『官報』、1978年11月28日。
  4. ^ 「通報 ●名寄本線中名寄駅ほか11駅の駅員無配置について(旅客局)」『鉄道公報日本国有鉄道総裁室文書課、1978年11月28日、4面。
  5. ^ a b 山田秀三『北海道の地名』(2版)草風館、浦安市〈アイヌ語地名の研究 別巻〉、2018年11月30日、177頁。ISBN 978-4-88323-114-0 
  6. ^ 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、200頁。ASIN B000J9RBUY 
  7. ^ a b c d e f 宮脇俊三 編『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』原田勝正小学館、1983年7月、214頁。ISBN 978-4093951012 
  8. ^ a b 宮脇俊三 編『鉄道廃線跡を歩くVII』JTBパブリッシングJTBキャンブックス〉、1999年12月、33頁。ISBN 978-4533033766 
  9. ^ 今尾恵介 編『新 鉄道廃線跡を歩く1 北海道・北東北編』JTBパブリッシング、2010年3月、25頁。ISBN 978-4533078583 

関連項目[編集]