殷穆

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

殷 穆(いん ぼく、379年 - 438年)は、東晋から南朝宋にかけての官僚本貫陳郡長平県

経歴[編集]

殷允(殷浩の叔父の殷融の子)の子として生まれた。東晋の末年に五兵尚書となり、劉裕の下で相国左長史をつとめた。420年永初元年)、劉裕が即位すると、散騎常侍の位を受けた。国子祭酒・五兵尚書・呉郡太守を歴任した。424年元嘉元年)、文帝が即位すると、金紫光禄大夫の位を受けた。竟陵王師を兼ねた。427年(元嘉4年)6月、護軍将軍の号を受けた。432年(元嘉9年)4月、特進・右光禄大夫の位を受けた。始興王師を兼ねた。438年(元嘉15年)5月、在官のまま死去した。享年は60。は元子。

子女[編集]

  • 殷淳
  • 殷沖(字は希遠、中書黄門郎・太子中庶子・尚書吏部郎・御史中丞・呉興郡太守・度支尚書を歴任した。劉劭が文帝を殺害して立つと、殷沖はその下で侍中・護軍・司隷校尉となった。孝武帝建康を落とすと、殺害された)
  • 殷淡(字は夷遠、黄門吏部郎・太子中庶子・歩兵校尉を歴任した)

伝記資料[編集]