横地治男

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横地 治男(よこち はるお、1912年 3月10日- 2007年3月28日)は、日本の実業家柔道家島根県隠岐の島町名誉町民。

来歴[編集]

島根県隠岐郡出身。島根県立隠岐商船水産学校卒業を経て陸軍に入隊、少尉で終戦を迎えて満州から復員した。復員後は防錆用の塗料販売業を手掛け、1956年に大日本化学商事(現ダイニッカ)として法人化[1]リッカーが経営破綻した際には一時期事業管財人を務めている。

実業界での活動の傍ら1975年には東京都世田谷区に柔道の私塾「講道学舎」を創立。オリンピック選手をふくめ、約200名の選手を輩出した。また、全日本柔道連盟顧問も務めた。

2007年3月28日、不整脈のため東京都目黒区の病院で死去、95歳没[2]

人物[編集]

講道学舎の元塾生である古賀稔彦によると、戦争を経験していたことから、結果を出したら喜ぶタイプではなく、その勝負に対して命を懸けているかどうかが判断基準だったとTBS系のバラエティ番組「水曜日のダウンタウン」の説「PL学園野球 この世の地獄説」でのインタビューで語られている。

家族[編集]

孫に柔道家の持田達人北田典子がいる。

脚注[編集]

  1. ^ ダイニッカ株式会社沿革
  2. ^ “横地治男氏死去 全日本柔道連盟顧問”. 共同通信社. 47NEWS. (2007年3月28日). https://web.archive.org/web/20150918013800/http://www.47news.jp/CN/200703/CN2007032801000879.html 2013年4月27日閲覧。