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楢崎景忠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
楢崎景忠
時代 戦国時代 - 江戸時代初期
生誕 不詳
死没 慶長16年1月12日1611年2月24日
別名 通称:太郎助、善左衛門尉
官位 佐渡守
主君 毛利輝元秀就
長州藩
氏族 湯原氏庶流 楢崎氏
父母 父:楢崎豊景
兄弟 信景景政景好、男子、景忠
有地隆言室、木梨隆盛室、芥川元正室、末国元光室、小倉元悦
就貞
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楢崎 景忠(ならさき かげただ)は、戦国時代から江戸時代初期の武将毛利氏の家臣。父は楢崎豊景。兄に楢崎信景楢崎景政楢崎景好

生涯

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備後国芦田郡久佐[1]朝山二子城(楢崎城)を本拠とした国人である楢崎豊景の五男として生まれ、毛利輝元秀就の二代に仕えた。

慶長8年(1603年11月1日、毛利輝元から「佐渡守」の受領名を与えられる。

慶長16年(1611年1月12日に死去。子の就貞が後を継いだ。

脚注

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  1. ^ 現在の広島県府中市久佐町。

参考文献

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