森源二郎

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森 源二郎(もり げんじろう 、生年不明[注 1] - 1976年8月27日)は日本大蔵官僚

来歴[編集]

麻布中学校・高等学校を卒業。高校時代は、成績は抜群で、校内でも森を知らない者はいなかったが、腕試しで、あちこちの予備校主催の模擬試験や学力コンクールなどにも参加。成績発表の際には森の名が掲げられていたため、受験をしていた同学年は森の名を覚えてしまっていたという[1]。高校卒業後東京大学に入学。東京大学法学部在学中国家公務員上級試験(行政職)を1番で合格[2]。その後東京大学法学部を卒業。

1969年大蔵省に入省。国際金融局投資第一課に配属[注 2]1970年名古屋国税局調査査察部。1971年8月、大臣官房付(外務研修)。1972年5月、外務省在ニューヨーク日本総領事館副領事。1976年6月、大臣官房付。同年7月、証券局総務課長補佐心得。同年8月27日、庁舎の4階から飛び降り即死。脇には、「理由を説明できないままに、ほかにどうしていいかわからない」と走り書きのある封筒が落ちていた[4]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 「また自殺!呪われた大蔵省証券局課長補佐のイス」(「週刊読売」1985年6月30日号、p.157)では「当時二十九歳」と記述しているため、生年は1946年または1947年ということになる。
  2. ^ 今でこそ国際化の潮流に乗って国際金融局の地位は向上してきているが、1969年当時は大蔵省内の評価は「コッキン(国際金融局)は二流」といわれ、低かったとされている。他の同期が大臣官房の文書課、秘書課や主計局、主税局、理財局、銀行局などの部署に配属されるのと比較すると国際金融局、関税局に回された者は肩身の狭い思いをしていたのは否めないと見られていた[3]

出典[編集]

  1. ^ 岩川隆『殺人全書』光文社文庫、1985年3月発行、500頁
  2. ^ 佐田智子『新・身分社会:「学校」が連れてきた未来』太郎次郎社、1983年6月発行、200頁
  3. ^ 石渡英『大蔵省のウラの裏がわかる本』ぴいぷる社、1989年3月発行、134頁
  4. ^ 猪野健治『官僚の商法』エフプロ出版、1977年8月発行、107頁

関連項目[編集]