檜町公園
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檜町公園(ひのきちょうこうえん)は、東京都港区赤坂にある公園である。港区が設置する都市公園(近隣公園)であり[1]、東京ミッドタウンに隣接する。面積は約14,100m2である[1]。
歴史
[編集]当地は江戸時代は長州藩・松平大膳大夫(毛利家)の下屋敷があったところで庭園は「清水園」と呼ばれ、江戸の大名屋敷の中でも名園のひとつとして知られていた。また周りに檜の木が多かったことから毛利家の屋敷は「檜屋敷」とも呼ばれ、後の「檜町」という地名の由来にもなった(公園の名もこれに由来する)。
明治時代になり毛利家の屋敷一帯は国の管轄に移り、第1師団歩兵第1連隊の駐屯地となった。第二次大戦後の一時期に米軍の接収を受け、その後敷地の大部分に防衛庁が設置される。残りの部分が檜町公園として整備され1963年に都立公園として開園。1968年に港区に管轄が移された。かつてはデモの集会などにも使われた。当公園は池を中心に遊具などが整った公園であったが、2000年に隣接する防衛庁(現:防衛省)が市谷に転出。その跡地に2007年に東京ミッドタウンが開発されたのを受け、当公園も再整備され景観が大きく変わった。隣のミッドタウン・ガーデン(東京ミッドタウンに付属している芝生広場)との調和が取れた開放的な造りとなった。
年表
[編集]- 江戸時代 - 毛利家の下屋敷があった。
- 1874年(明治7年) - 一帯が歩兵第一連隊の駐屯地になる。
- 1945年(昭和20年) - 終戦を迎え、米軍に接収される。
- 1957年(昭和32年)12月21日 - 都市計画決定(建設省告示第1689号)[1]。
- 1960年(昭和35年) - 霞ヶ関にあった防衛庁が当地に移転。
- 1963年(昭和38年)7月 - 檜町公園が東京都立公園として開園。
- 1968年(昭和43年)4月 - 管轄が港区に移される。
- 1986年(昭和61年)4月29日 - 右翼活動家中村忠志が持参した時限爆弾を誤爆させ重傷を負う(檜町公園事件)。
- 2000年(平成12年) - 防衛庁が市谷に移転。
- 2007年(平成19年) - 防衛庁跡地に東京ミッドタウンが完成。それにあわせて、檜町公園も再整備される。
施設概要
[編集]アクセス
[編集]主な施設
[編集]脚注
[編集]出典
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 港区ポータルサイト・檜町公園
- 東京散歩 氷川公園・檜町公園(整備される前の檜町公園の様子が分かる) - ウェイバックマシン(2019年1月1日アーカイブ分)
座標: 北緯35度40分0.4秒 東経139度43分57.3秒 / 北緯35.666778度 東経139.732583度