桜井成広
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櫻井 成廣(さくらい なりひろ、1902年(明治35年)3月[1] - 1995年(平成7年)12月7日)は、哲学者で青山学院大学名誉教授。工部省官僚長野桂次郎の外孫[2]。
経歴
[編集]教師櫻井成明の長男として東京府に生まれる。東京帝国大学文学部哲学科を卒業。青山学院大学で、哲学、論理学の教授をしていたが、城郭研究者として広く知られていた。大坂城、伏見城、聚楽第など豊臣秀吉の築いた城の専門家だった。
家族
[編集]- 祖父・桜井成能(1842-1886) ‐ 篆刻を得意とした書画家。松壑と号す。桜井成愛の長男。陸奥国白河郡釜子村出身。高田藩士(釜子地方は白河藩主の領地替えに伴い寛保元年(1741年)より越後高田藩の飛び領地)で、明治維新後は教部省、宮内省に務めた。[3][4][5] 病で借金ができ、婚約者と破談、この話をもとに北村透谷は短編小説『星夜』を執筆した[6]。
- 父・桜井成明(1865-1945) - 牧師。陸奥国(福島県)生まれ、東京帝国大学古典科卒[7]。メソディスト派の信者で、大学卒業後、カナダ・メソヂスト教会宣教師C.S.イービーの伝道を手伝い、北村透谷と親交[7][8]。1893年より関西学院(メソジスト派)神戸女学院(会衆派)で漢文を教え、1900年に青山学院に転ずる[7]。訳書に『希臘孝子腓立比物語』女学雑誌社、1893年[9]
- 母・トメ - 長野桂次郎の長女
- 父方叔母・高崎母登(1874-) ‐ 高崎介蔵の妻。築地生まれで東京音楽学校卒。夫の介蔵は会津若松出身、東京法学院卒の実業家。夫婦ともにクリスチャン。[10]
著書
[編集]- 「桃山芸術と日本文化」彰国社 1947
- 「豊臣秀吉の居城 大坂城編」日本城郭資料館出版会 1970
- 「豊臣秀吉の居城 聚楽第 伏見城編」日本城郭資料館出版会 1971
- 「戦国名将の居城 その構造と歴史を考える」新人物往来社 1981
- 「日本史 名城の謎 城をめぐる攻防と構造の謎」日本文芸社 1983
共著
[編集]脚注
[編集]- ^ 『現代物故者事典 1994~1996』(日外アソシエーツ、1997年)p.256
- ^ Howdy Tommy櫻井成孝
- ^ 桜井成能(読み)さくらい なりよしコトバンク
- ^ 高田市史, 第 1 巻、高田市史編集委員会、高田市役所, 1958、p238
- ^ 釜子陣屋の跡白河情報館
- ^ 『透谷と近代日本』北村透谷研究会、翰林書房、1994、p424
- ^ a b c 桜井 明石(読み)サクライ メイセキコトバンク
- ^ 『現代日本文學大系 第6巻』筑摩書房、1968、p383
- ^ 希臘孝子腓立比物語国立国会図書館
- ^ 高崎介蔵、高崎母登『基督者列伝 : 信仰三十年』警醒社書店、1921