林忠満
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時代 | 戦国時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 天文9年6月6日(1540年7月19日)[1][2] |
改名 | 政通、縁正、忠満[3] |
別名 | 藤五郎、藤八郎、藤助[3] |
戒名 | 道見[1][2] |
主君 | 松平清康、広忠 |
氏族 | 三河林氏[3] |
父母 | 林忠長[1][2] |
子 | 忠時[2] |
林 忠満(はやしただみつ)は、戦国時代の三河国の武将。松平氏の家臣。
生涯
[編集]林氏は信濃守護小笠原氏の傍流で、松平氏初代親氏の代よりの家臣と称する家柄である[4][3]。忠満は初め岡崎城主の松平清康に仕え、岡崎五人衆の一人にも数えられた[5][1]。天文6年(1537年)森山崩れ以降、三河を追われていた松平広忠が今川氏の後援を得ると、八国詮実・大久保忠俊・成瀬正頼・大原惟宗と謀って広忠を岡崎城に迎え入れ、この功により15貫文の加増を受けた[6][7]。天文9年(1540年)安祥城在番中、織田信秀との合戦で戦死した(安城合戦)[1][7]。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 新編岡崎市史編集委員会 編『新編 岡崎市史』《中世》新編岡崎市史編さん委員会、1989年。
- 新編岡崎市史編集委員会 編『新編 岡崎市史』《総集編》新編岡崎市史編さん委員会、1993年。
- 『新訂 寛政重修諸家譜』 4巻、高柳光寿(監修)、続群書類従完成会、1964年。ISBN 978-4-7971-0208-6。