松平勝政

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松平勝政
時代 安土桃山時代 - 江戸時代初期
生誕 天正元年(1573年
死没 寛永12年6月10日1635年7月23日
改名 藤八郎・源三郎(幼名)→勝政
戒名 道罷
墓所 増善寺
官位 従五位下、豊前守
幕府 江戸幕府 大番頭→駿府城
氏族 水野氏久松松平氏
父母 父:水野忠分、養父:松平康俊
兄弟 水野分長水野重央勝政
正室:松平康俊の娘
勝義、娘(久野宗成妻)、娘(宮城豊嗣妻)

松平 勝政(まつだいら かつまさ)は、安土桃山時代の武将、江戸時代旗本

生涯[編集]

天正元年(1573年)、水野忠分の五男として生まれる。天正14年(1586年)、松平康俊が男子が無いまま没した際、康俊の生母である伯母・於大の方の要請を受けて康俊の娘婿となり、家督を継承する。

文禄元年(1592年)2月、1500石を賜る。同年、文禄の役に際し名護屋城に赴いた徳川家康に同行。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いにも供奉した。慶長7年(1602年)10月、1000石を加増される。翌慶長8年(1603年)3月、従五位下・豊前守に叙任された。

慶長19年(1614年)から翌20年(1615年)の大坂の役にも参戦し、家康から鳥毛鞘の槍一対と床机を賜った。元和2年(1616年)8月、2500石を加増される。元和5年(1619年)8月に大番頭、寛永10年(1633年)2月9日に駿府城番に任命され、さらに3000石を加増されて駿河国有渡郡安倍郡において8000石を領有することとなった。

寛永12年(1635年)6月10日、駿府において63歳で死去。家督は子の勝義が継いだ。

出典[編集]