松平勝忠

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松平勝忠
時代 江戸時代前期
生誕 元和9年(1623年
死没 延宝8年5月24日1680年6月20日
改名 半左衛門(幼名)→勝忠
別名 兵部(通称)、勝易
戒名 道雨
墓所 増善寺
官位 従五位下、豊前守
幕府 江戸幕府書院番大番頭→駿府城
氏族 久松松平氏
父母 父:松平勝義
兄弟 勝則勝忠土屋知義勝光勝直勝郷
勝秀木村清真勝以
正室:川勝広尚の娘
養子:松平勝以

松平 勝忠(まつだいら かつただ)は江戸時代旗本

生涯[編集]

松平勝義の次男として生まれる。寛永11年(1634年)8月16日、将軍徳川家光に拝謁。正保2年(1645年)6月26日に書院番に列した。寛文9年(1669年)7月8日、書院番組頭となった。同年、兄の勝則が亡くなったため、嗣子となった。

寛文10年(1670年)、父・勝義が死去したため、12月18日に家督を継承する。この時、弟の勝光と勝郷に500石ずつ知行を分与したため、自身の知行は7000石となった。寛文11年(1671年)5月4日に書院番頭となり、同年12月28日には従五位下豊前守に叙任された。同年、領地の一部を下総国香取郡から下総国葛飾郡上総国武射郡長柄郡山辺郡に移封されている。

延宝2年(1674年)8月29日に大番頭、延宝4年(1676年)6月3日に駿府城代に任命された。この際には2000石を加増され、知行は9000石となった。延宝8年(1680年)5月24日、58歳で死去。嗣子が無かったため、養子となっていた末弟の勝以が跡を継いだ。

出典[編集]