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李鴻祥

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
李鴻祥
プロフィール
出生: 1879年光緒5年)
死去: 1963年
中華人民共和国の旗 中国
出身地: 清の旗 雲南省澂江府新興州
職業: 軍人・政治家
各種表記
繁体字 李鴻祥
簡体字 李鸿祥
拼音 Lǐ Hóngxiáng
ラテン字 Li Hung-hsiang
和名表記: り こうしょう
発音転記: リー ホンシアン
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李 鴻祥(り こうしょう)は清末中華民国中華人民共和国の軍人・政治家。滇軍(雲南軍、雲南派)の一員。儀廷儀庭

事跡

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清末に日本へ留学し、陸軍士官学校歩兵科を卒業した。また、留学中に中国同盟会に加入している。1909年宣統元年)に帰国し、新軍第73標管帯兼雲南陸軍講武堂教官に就任した。1911年(宣統3年)10月、蔡鍔唐継尭らが画策した重九起義に参加した。その後、四川省の革命派支援のために、滇軍第2梯団団長に任命され、四川へ遠征した。

雲南へ戻ると滇軍第1師師長に任命された。まもなく雲南省政務庁長に異動し、これ以後は軍事職から離れる。1913年民国2年)10月、羅佩金の後任として雲南省民政長に任命された。翌年、北京に異動し、参政院参政となる。これ以後は、中央での目立った政治活動も見られなくなる。

1931年(民国20年)、雲南に戻り、以後は地方で文献収集の活動に従事した。1939年(民国28年)、雲南省参議会議長に選出された。中華人民共和国建国後も雲南省に留まり、雲南省軍政委員会委員、雲南省人民委員会委員などを歴任した。

1963年、死去。享年85。

参考文献

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  • 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1 
  • 雲南辞典編輯委員会編『雲南辞典』雲南人民出版社、1993年。ISBN 7-222-01264-8