李建勲

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李 建勲(り けんくん、生年不明 - 925年)は、中国代末期の詩人は致堯(ちぎょう)。広陵郡の出身。本貫隴西郡狄道県

略歴[編集]

唐末、南唐王朝の建国に尽力し、中書侍郎平章事(宰相)に任ぜられたが、後に勢力を失い、撫州節度使に左遷された。更に呼び戻され、司空を拝命したが、鍾山(現在の江蘇省南京市の南東)に別荘を建て、辞職して引きこもったので、天子から鍾山公の号を授けられた。

詩人としての彼[編集]

現在、『李丞相詩集』二巻が残っている。作品に『宮詞(きゅうし)』(七言絶句)がある。

宮詞
宮門長閉舞衣閑 宮門長(つね)に閉ざして舞衣(ぶい)閑(しず)かなり
略識君王鬢便斑 略(ほ)ぼ識(し)る 君王の鬢(びん)便(すなわ)ち斑(まば)らなるを
却羨落花春不管 却って羨む 落花(らっか) 春管(かん)せず
御溝流得到人間 御溝(ぎょこう)流れ得て 人間(じんかん)に到るを

出典[編集]