望月長孝

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望月 長孝(もちづき ちょうこう)は、江戸時代俳諧師歌人山城国生まれ。信濃源氏、名は兼友、通称は四郎右衛門、号は重公・長好・長孝・小狭野屋・水蛙、法号は道空長孝。

人物[編集]

祖父は室町に住んで絹布を扱った人物だが、父母の名は不明[1]。13歳で松永貞徳門に入り、『手爾葉大概抄之抄』を付与される[1]。俳諧は松江重頼に学び、長好と名乗る[1]。22歳で望月四郎右衛門重公として定家幽斎追善歌会に出詠、27歳で貞徳から古今伝授を受ける[1]。29歳で木下長嘯子から『百人一首口決抄』を付与された[1]。40歳で夫婦ともに出家し広沢池の草庵に隠居、飛鳥井雅章によって草庵が小狭野屋と名付けられる[1]。48歳で藤江維松に、55歳で平間長雅に古今伝授を始め、58歳で鍋島直條に『制嫌之詞口授秘伝』を付与する[1]。60歳で長孝と改名した[1]

著作[編集]

注釈

  • 『古今集両度聞書註』(書き入れ部分のみ)
  • 『古今仰恋』[2]
  • 『堀川院艶書合註』

家集

  • 『長好師家集』
  • 『広沢輯藻』
  • 『桂雲集類題』

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h 岡本勝雲英末雄編『新版 近世文学研究事典』おうふう、2006年2月、206頁。 
  2. ^ 西田正宏 (2005-03). “望月長孝『古今仰恋』仮名序注の性格”. 女子大文学 國文篇 (大阪女子大学文学会) 56: 33-42. doi:10.24729/00011064.