服部禎男

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服部 禎男 (はっとり さだお、1933年7月27日 - )は、日本工学者、元電力中央研究所名誉特別顧問。放射線ホルミシスの研究者[1]

経歴・人物[編集]

愛知県名古屋市生まれ。愛知県立旭丘高等学校を経て、1956年名古屋大学電気工学科卒業後、中部電力に入社。入社翌年、東京工業大学大学院原子核工学修士課程に進学。修了後の1960年アメリカ合衆国オークリッジ国立研究所原子炉災害評価研修課程へ留学。1972年動力炉・核燃料開発事業団に在籍、ふげん建設電気機械課長として設計、許認可研究活動に携わる[2]

1980年、電力中央研究所・研究開発部の初代原子力部長に就任。1984年、アメリカ合衆国の生化学者トーマス・ラッキーの唱えた放射線ホルミシス論を知り、のちに同理論は正しいと考えるに至る[3]1988年、燃料無交換超小型安全炉を発案。同年、「原子力のリスク削減理論」[2]により工学博士号取得。1989年、放射線ホルミシス研究委員会委員長および電力中央研究所理事に就任。

1999年6月の原子力政策円卓会議では、もんじゅなど高速増殖炉核燃料サイクルを開発する必要性、そのための小型単純炉実用化の先行を主張した[4]。その概念設計として4S炉東芝と開発した。

2005年、「放射線ホルミシス研究とその国際的推進」によりバンガード賞を受賞[1]

放射線と健康を考える会理事[5]一般社団法人ホルミシス臨床研究会理事[6]

研究・著作[編集]

  • 博士論文「原子力発電所の安全確保における確率論的手法に関する研究」東京大学工学博士 、乙第8817号、1988年3月18日[7]
  • 『「放射能は怖い」のウソ―親子で考える放射能Q&A』武田ランダムハウスジャパン、2011年8月
  • 原子力発電所関連技術、エネルギー政策、放射線ホルミシス等に関する論文多数[8]

参考文献[編集]

  • 大下英治 『原子力と50年「服部禎男」大激白 「超小型原子炉」なら日本も世界も救われる!』 ヒカルランド、2011年11月。

脚注[編集]

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外部リンク[編集]