日目

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日目
1260年 - 1333年[1]
蓮蔵房[1]
生地 伊豆国[1]
没地 美濃国[1]
宗派 日蓮宗日蓮本宗日蓮正宗
寺院 要法寺・・伊豆実成寺保田妙本寺小泉久遠寺大石寺[1]
日興[1]
弟子 日尊日郷日道[1]
日蓮本宗實報寺

日目(にちもく、文応元年4月28日1260年6月8日) - 元弘3年/正慶2年11月15日1333年12月22日))は、日興門流[2][3]

概要[編集]

身延山にて日蓮に常随給仕していた[1]。日蓮門下の草創期において日興門流を率いた日興の高弟本六人の一人[1][4]。蓮蔵房[5][1]のちに新田郷阿闍梨[1]もしくは新田卿阿闍梨[6]・郷公日目[1]・卿公[7]と称す。現代の日蓮正宗大石寺では第三祖に列せられている[8][9][10][11]が、18世紀の書物には第二代との記述もある[注釈 1]

略歴[編集]

11月、身延山に登り日蓮に常随給仕を尽くす[17][16]
  • 建治3年(1277年)2月、身延において『五戒口決伝受』を書写す。
  • 弘安2年(1279年)2月、日蓮より本尊(桑名市伝馬町寿量寺蔵)を賜る[1]
  • 弘安5年(1282年)9月、池上において日蓮の命により、伊勢法印を論破す[16]
  • 弘安6年(1283年)1月、日蓮大聖人1周忌、諸直弟身延御廟輪番の制を定め百ケ日忌を修す。
8月13日、太夫阿日尊、陸前三ノ迫六丁目において日目により改衣得度。
伊豆に遊化、又陸前に到り、三ノ迫新田に上新田坊〔本源寺〕を創す。
陸前三ノ迫に法華堂〔上行寺〕を創す。
大石寺塔中蓮蔵坊を創す。
(蓮蔵坊:現在は学頭寮、次期法主予定者として公表された者が登座まで居住する坊)
  • 永仁3年(1295年)3月15日、大石寺にて御真蹟により一代聖教大意を写す。
  • 正安元年(1299年)6月30日、十宗房問答につき御教書下る。
7月1日、十宗房を論破す。日道及び妙教寺3代日運、日目により得度す。
  • 正安2年(1300年)4月13日、蓮阿尼〔日目母〕亡夫新田重綱の供養碑〔日目筆〕を陸前新田柴垣に建つ。
  • 正安3年(1301年)10月13日、日興、本尊を書写し、了性房日乗及び新田頼綱日善〔日目兄〕に授与。
  • 乾元元年(1302年)、日目、駿河安居山に東漸寺を創す。
  • 元亨元年(1321年)8月10日、日興へ伊豆の田1反の供養をする。
  • 正中元年(1324年)12月29日、日興本尊を書写し日目に授与。
  • 嘉暦元年(1326年)4月、本尊を書写し日郷に授与。
  • 嘉暦2年(1327年)11月10日、日道に土地〔陸前三ノ迫加賀野・伊豆南条〕譲状を与う。日道に上新田坊を譲る。
  • 元徳2年(1330年)11月10日、日蓮正宗では、『日興跡条々事』を基に、日興が日目を一閻浮提の座主と定めた、としている[19]。その一方で、日蓮宗はこれを認めていない[20]
  • 元弘元年(1331年)12月、日郷に本尊を授与。
  • 元弘2年(1332年)1月2日、本尊を書写。
10月25日、興学の書を民部阿日盛に与う。
11月3日、日興、本尊を書写し日目に授与〔御手続本尊〕。日道、日目の命により陸前宮野に妙円寺を創す。
  • 元弘3年(1333年)1月13日、本尊を書写し陸前三迫新田太夫四郎妻に授与。
2月13日、日目等、日興の遺誡により大聖人御影並びに園城寺御下文守護につき違背なきよう誡む。
2月彼岸、本尊を書写し陸前一迫河田美濃房に授与。
3月、本尊を書写し陸前新田太夫四郎母・新田十郎重道妻の姉に授与。
11月15日、京の朝廷への申状提出(天奏)に向かう途中、美濃垂井の宿(岐阜県不破郡垂井町)で74歳で死去した。

本六人[編集]

補足[編集]

日目死去の地、伊吹山の東南麓の位置になる美濃垂井(岐阜県不破郡垂井町相川)に、日目庵という日蓮本宗寺院「日目上人茶毘所」と廟所が、相川の宿場南側「垂井の泉」の近くにある。茶毘の位置も相川土手の川沿いに位置する。創価学会が寄進した天奏寺日蓮正宗末寺、現・妙風派の正信会所属)が建てられた場所では無い。

日目庵日蓮本宗寺院「日目上人茶毘所」の行き方は、JR垂井駅北口に出て、徒歩で15分から20分、または日目庵行きの1時間に1本しか走らないバスで行く。日目庵のそばに日目庵停留所がある。日目庵の周辺は簡素な疎開地と思える街で、途中2つに割れる道があるが、赤い橋が見える相川に向かうと空き地のような場所が日目庵である。

日目は大石寺蓮蔵坊安置の本尊をはじめ曼荼羅本尊を数体しか書写していないが、これは日目が学頭職であり本尊は日興が書写していたためといわれている。

日目は逝去前に、もう一度人間に生まれ変わって京都での天奏を果たしたいという和歌がある。

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ (日潮 1730)の 目次(右ページの右から2行目)や題・本文 (左ページの右から4行目および最左行)には、「第二代」とある。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 日蓮宗事典刊行委員会 1981, p. 632a.
  2. ^ 日蓮宗事典刊行委員会 1981, p. 632b-但し、生年・没年月日のみ。
  3. ^ 宮崎英修 1978, p. 220a-但し、日目が日興門流の僧であることのみ
  4. ^ 宮崎英修 1978, p. 220b.
  5. ^ 日潮 1730-但し、外部リンクでは、コマ番号487。
  6. ^ 宗旨建立750年慶祝記念出版委員会 2002, p. 188.
  7. ^ 日興他 1983, p. 4-但し、本書にはページ数が複数存する。出典部分は3つ目のP.4。外部リンクでは、コマ番号7。
  8. ^ 日蓮宗事典刊行委員会 1981, p. 1262.
  9. ^ 日蓮宗寺院大鑑編集委員会 1981, p. 1141.
  10. ^ 宗旨建立750年慶祝記念出版委員会 2002, p. 334.
  11. ^ 日蓮正宗宗務院 2008, p. 121.
  12. ^ 宗旨建立750年慶祝記念出版委員会 2002, p. 188a-但し、月日を除く。
  13. ^ 日蓮宗事典刊行委員会 1981, p. 632c-但し、月は除く。
  14. ^ 宗旨建立750年慶祝記念出版委員会 2002, p. 188b-但し、年月を除く。
  15. ^ 日蓮宗事典刊行委員会 1981, p. 632d-かぎ括弧内は、出典より引用。
  16. ^ a b c 宗旨建立750年慶祝記念出版委員会 2002, p. 188c.
  17. ^ 日蓮宗事典刊行委員会 1981, p. 632e-但し、常随給仕したことのみ。
  18. ^ 宗旨建立750年慶祝記念出版委員会 2002, p. 189a.
  19. ^ 宗旨建立750年慶祝記念出版委員会 2002, p. 189b-但し、日付は除く。
  20. ^ 日蓮宗現代宗教研究所 2006, pp. 48-59.

参考文献[編集]

外部リンク[編集]

先代:
日興
大石寺住職一覧 次代:
日道